土田 文雄(読み)ツチダ フミオ

20世紀日本人名事典 「土田 文雄」の解説

土田 文雄
ツチダ フミオ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治34(1901)年2月22日

没年
昭和48(1973)年2月22日

出生地
山形県米沢市

学歴〔年〕
米沢中〔大正7年〕卒

主な受賞名〔年〕
樗牛賞〔昭和4年〕

経歴
大正7年上京、川端画学校に入り藤島武二師事。10年日本美術院展に「海」を出品、初入選となる。12年から春陽会展に出品、毎回入選する。15年国画会創立とともに同会に出品するようになり、昭和4年「河岸の丘」ほか4点が入選、樗牛賞を受賞。7年国画会会友、18年同会員。29〜46年武蔵野美術大学教授を務めた。この間、32年米沢市より功績賞を受ける。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土田 文雄」の解説

土田文雄 つちだ-ふみお

1901-1973 大正-昭和時代の洋画家。
明治34年2月22日生まれ。大正7年川端画学校にはいり,藤島武二に師事する。10年院展に初入選。梅原竜三郎に傾倒して,15年から国画創作協会展に出品し,昭和18年国画会会員となる。29年武蔵野美大教授。昭和48年2月22日死去。72歳。山形県出身。米沢中学卒。作品に「海浜の朝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例