塩町口野畑(読み)しおまちぐちのばた

日本歴史地名大系 「塩町口野畑」の解説

塩町口野畑
しおまちぐちのばた

[現在地名]南区たに町七丁目

生駒町いこまちよう大道の南側にあり、西は立半りゆうはん町・柏原かしはら町。塩町口野畑の名称は、南隣の北平野きたひらの町が古くは塩屋しおや町、のち上塩かみしお町と通称したので、その入口にあるために起こったと思われる。天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では西成にしなり郡に「塩町口野畑」とみえ高七石余。寛文六年(一六六六)一部は大坂定番米津田盛領となり、遺領を継承した武蔵久喜藩米津政武のとき領知替となったが、同帳では四石余が米津領、残りが幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報