出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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難波新地
なんばしんち
[現在地名]南区千日前一丁目・難波一―四丁目
一―三丁目に分れる。一丁目は元伏見坂町の南、日本橋二丁目の西にあり、二丁目は本相生町の南、三丁目は道頓堀九郎右衛門町の南、本堺町・本京橋町の西にある。「天保町鑑」に一丁目は「道とんぼりより四筋南、千日前自安寺北がハ、坂町うら共」、二丁目は「千日前一筋西の筋野がハ、石橋大溝の北がハより三筋北之丁共、東ハ塀のかハ也」、三丁目は「すまふ場北西がハ、同やぐらまへ東へ半丁両がハとも、惣て道頓堀戎ばし南詰一筋内より法善寺うら門西辺、俗ニなんば新地と言」と記される。宝暦一四年(一七六四)五月、元伏見坂町・本相生町・道頓堀九郎右衛門町の裏地続きの難波村畑地を公儀が買上げることになり、明和元年(一七六四)一〇月地主に地代銀が支払われ開発が始まった(成舞家文書)。新地の面積は三町余・高三八石余、畑地代金は一万二千両で、同年九月鈴木町(現東区)の金田屋正助の請負いが認められ、以後五ヵ年町役免除、年貢は同二年より上納とされた。同年三月天満組に編入となり、同九月新町屋は難波新地と名付けられて町割が命ぜられ、同六年三町の水帳ができた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の難波新地の言及
【新地】より
…江戸でも大坂ほどではないが,深川の埋立地を築出新地と呼んだり,尾張町1丁目新地のようにいったん火除明地になった後に町屋敷が復活した土地や,武家屋敷から町屋敷に変わった土地を俗称で新地,または新町,新屋敷と呼ぶ例は多い。大坂では新開地である新地の繁栄を図るため,茶屋,煮売屋,風呂屋,芝居小屋など遊興施設の営業を許可したため,都市の発展にともない難波新地,曾根崎新地などは大坂の中でも有数の繁華街となった。難波新地の法善寺は千日回向を行う千日寺として知られ,その門前である千日前の繁栄は近代に至るまで受けつがれている。…
※「難波新地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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