妙楽寺町(読み)みようらくじまち

日本歴史地名大系 「妙楽寺町」の解説

妙楽寺町
みようらくじまち

[現在地名]博多区古門戸町こもんどまち

古門戸町の北(浜側)に連なる南北の道に沿う妙楽寺新町と妙楽寺裏みようらくじうら町、両町に交差する東西道に沿う妙楽寺前みようらくじまえ(妙楽寺町)からなり、いずれも両側町(福岡博多近隣古図)。九州文化史研究所蔵の博多古図では妙楽寺新町の地を古門戸中、妙楽寺裏町の地を古門戸下としている。町名は妙楽寺(慶長七年に御供所町へ移転)があったことに由来する(続風土記)。元禄三年(一六九〇)の家数は妙楽寺二三・妙楽寺町裏町九・妙楽寺新町一八(続風土記)。明和三年(一七六六)には妙楽寺前町の家数三六・間数一一〇間余(石城志)、妙楽寺新町の家数二一・間数四五間余(影印本「石城志」)。慶応二年(一八六六)には妙薬寺町の家数二五、妙楽寺新町の家数一〇(博多店運上帳)

妙楽寺前町辺りを「談議所」ともいったが(前掲近隣古図)、由来については鎌倉時代末期に刀工西蓮が居住し、刀銘に「筑前国談議所西蓮法師国吉」と刻してあったからとか(「続風土記」など)、奉行所などがあったからとか、また性空(平安時代中期の僧)説法(談義)を始めた地だからとかいわれる(石城志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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