小場 恒吉(読み)オバ コウキチ

20世紀日本人名事典 「小場 恒吉」の解説

小場 恒吉
オバ コウキチ

大正・昭和期の美術史家 東京芸術大学教授。



生年
明治11(1878)年1月25日

没年
昭和33(1958)年5月29日

出生地
秋田県

学歴〔年〕
東京美術学校図案科〔明治36年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院恩賜賞〔昭和25年〕「日本紋様研究

経歴
明治41年東京美校図案科助手、大正元年助教授となり、同年から朝鮮古墳壁画模写のため朝鮮に渡った。5年美校を辞め朝鮮博物館事務嘱託となり、朝鮮総督府学務局古墳調査課員、朝鮮美術審査委員会委員を兼務した。14年東京美術学校講師に復帰、工芸史を担当した。昭和8年には朝鮮総督府宝物古墳名勝天然記念物保存会委員を依嘱され、毎年朝鮮に行き古墳調査と高句麗壁画の模写を行った。21年教授。25年「日本紋様の研究」で芸術院恩賜賞を受賞。専門は紋様史の研究で、日本、朝鮮、中国の古墳古建築の装飾、絵画彫刻の絵紋様、工芸品の紋様など緻密な調査研究を行った。ほかに「唐州南山の仏蹟」「楽浪王光墓」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小場 恒吉」の解説

小場恒吉 おば-こうきち

1878-1958 大正-昭和時代の美術史家。
明治11年1月25日生まれ。41年母校東京美術学校(現東京芸大)の図案科助手となり,法隆寺百済観音などの装飾紋様を模写。大正5年から朝鮮総督府学務局につとめ,古墳壁画を研究。昭和24年東京芸大教授。25年日本紋様の研究で芸術院恩賜賞。昭和33年5月29日死去。80歳。秋田県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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