後藤 鉀二(読み)ゴトウ コウジ

20世紀日本人名事典 「後藤 鉀二」の解説

後藤 鉀二
ゴトウ コウジ

昭和期のスポーツ功労者,卓球指導者 愛知工業大学学長;日本卓球協会長。



生年
明治39(1906)年11月13日

没年
昭和47(1972)年1月22日

出生地
東京

出身地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
浜松高等工業学校〔昭和4年〕卒

経歴
昭和5年から卓球を始め、名古屋電気工業学校校長時代、自ら特訓、名電工を卓球一流校に育てた。29年名古屋電気短期大学(後の愛知工業大学)学長。この間11年に日本卓球協会理事。38年会長、同時に国際卓球連盟副会長、42年アジア卓球連盟会長を務め、また29年ロンドン、42年ストックホルム、44年ミュンヘンの世界卓球選手権大会団長。46年名古屋での第31回世界卓球大会に中国チームを参加させ“ピンポン外交”を展開した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤 鉀二」の解説

後藤鉀二 ごとう-こうじ

1906-1972 昭和時代教育者,卓球指導者。
明治39年11月13日生まれ。戦後,名古屋電気工業学校を愛知工大もふくむ名古屋電気学園に発展させ理事長となる。昭和38年日本卓球協会会長。国際卓球連盟副会長もかね,46年名古屋の世界選手権大会への中国参加につくし,「ピンポン外交」を成功させた。昭和47年1月22日死去。65歳。東京出身。浜松高工(現静岡大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「後藤 鉀二」の解説

後藤 鉀二 (ごとう こうじ)

生年月日:1906年11月13日
昭和時代の教育者;卓球指導者。日本卓球協会会長
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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