日光火之番屋敷跡(読み)につこうひのばんやしきあと

日本歴史地名大系 「日光火之番屋敷跡」の解説

日光火之番屋敷跡
につこうひのばんやしきあと

[現在地名]日光市本町

うま町の西端、馬町うままち通の南側にあり、道を挟んで日光奉行支配組頭役宅(日光目代屋敷)と対する。寛永一三年(一六三六)の東照宮大造替後、日光山の防火対策が重視され、正保三年(一六四六)一二月二〇日大番職平林正好・筧正恵の二名が日光山の火之番役に命じられた。翌二一日には大番一〇人が日光山火之番を命じられ、二人ずつ三〇日交替することと決められた(徳川実紀)。慶安五年(一六五二)六月、鎗奉行所属の千人頭に日光火之番が命じられた(「日光御番覚帳」日光市史)。千人頭一〇人は武蔵八王子はちおうじ(現東京都八王子市)に住し、在郷武士団の千人同心各一〇〇人を支配していた。八王子千人同心と日光との関係は、元和三年(一六一七)家康の柩に従った時からで、以後将軍の日光社参に供奉するのを慣例としていた(桑都日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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