本間 喜一(読み)ホンマ キイチ

20世紀日本人名事典 「本間 喜一」の解説

本間 喜一
ホンマ キイチ

大正・昭和期の弁護士 愛知大学名誉学長;元・東亜同文書院大学学長;元・最高裁事務総長。



生年
明治24(1891)年7月15日

没年
昭和62(1987)年5月9日

出身地
山形県

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔大正4年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章

経歴
司法省に入り、判事検事を歴任した後、大正9年東京高商教師となり、15年教授。昭和11年“商大事件”で退職し弁護士となる。その後、15年から中国上海にあった東亜同文書院大学教授、19年から21年まで同大学長。22年から25年まで最高裁初代事務総長。25年から30年、34年から38年の2回にわたり愛知大学学長を務めた。大学の自治を守るために奔走した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間 喜一」の解説

本間喜一 ほんま-きいち

1891-1987 大正-昭和時代の商法学者。
明治24年7月15日生まれ。検事,判事をへて,昭和4年東京商大(現一橋大)教授。11年商大事件で退職し,弁護士を開業。15年東亜同文書院大教授となり,19年学長。22年最高裁初代事務総長。25年愛知大学長となるが,警察官の構内立ち入りをめぐる紛争で学生らが起訴されると,辞任してその弁護人となった。34年学長に再選。昭和62年5月9日死去。95歳。山形県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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