東岩瀬村(読み)ひがしいわせむら

日本歴史地名大系 「東岩瀬村」の解説

東岩瀬村
ひがしいわせむら

[現在地名]富山市東岩瀬町・東岩瀬村・岩瀬諏訪町いわせすわまち岩瀬入船町いわせいりふねちよう岩瀬萩浦町いわせはぎうらまち岩瀬港町いわせみなとまち岩瀬天神町いわせてんじんまち岩瀬梅本町いわせうめもとちよう岩瀬松原町いわせまつばらちよう岩瀬白山町いわせはくさんまち岩瀬文化町いわせぶんかまち岩瀬表町いわせおもてまち岩瀬御蔵町いわせおぐらまち岩瀬赤田町いわせあかだまち岩瀬高畠町いわせたかばたけまち岩瀬前田町いわせまえだまち岩瀬池田町いわせいけだまち岩瀬天池町いわせあまいけちよう岩瀬古志町いわせこしまち西宮にしみや高畠町たかばたけまち一丁目など

神通川河口右岸に位置し、南は千原崎ちわらざき村、東はおお村。古くから陸海交通の要地として知られる。明暦二年(一六五六)行政的には東岩瀬田地方ひがしいわせでんじがた(永割とも)と、東岩瀬宿方ひがしいわせしゆくかた・同浦方うらかたに分れ、寛文二年(一六六二)には宿方・浦方が加賀藩主往還路(北陸街道)の宿に指定された。田地方と宿方・浦方および南西西宮にしのみや村とは混然一体の集落をなした。神通川河口に東岩瀬渡があり、対岸草島くさじま村から富山藩領婦負ねい郡西岩瀬町・四方よかた町に通じる。また神通川河口付近には北前船で賑わった東岩瀬湊があった。なお当村発祥の地は北方一屋坪いちやつぼとよばれる地とされる。元亀三年(一五七二)と推定される九月一三日の上杉謙信書状(栗林文書)に東岩瀬とみえる。

元和二年(一六一六)草島・千原崎・東岩瀬の三村に五軒に一軒の割で伝馬役が義務づけられた(「三ヶ国宿伝馬役定書」加賀藩史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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