甲田 寿彦(読み)コウダ トシヒコ

20世紀日本人名事典 「甲田 寿彦」の解説

甲田 寿彦
コウダ トシヒコ

昭和期の住民運動家 元・富士市公害対策市民協議会会長。



生年
大正6(1917)年12月14日

没年
昭和62(1987)年11月7日

出生地
静岡県富士市

学歴〔年〕
静岡師範〔昭和12年〕卒

経歴
静岡県下の教員、県立中央図書館主事を経て、昭和43年富士市公害対策市民協議会会長として田子の浦のヘドロ公害反対運動へ。とくに東電の富士川火力発電所建設に対して富士市議会の承認を阻止したことは有名。47年市民協議会会長を辞め、世界中を旅行する。49年タイの留学生達が「公害の町の実情を知ろう」と訪れてきたのが縁で、以来タイに度々赴く。“タイのむらに泉を掘る会”をつくり、自称“井戸掘り屋”。著書に「わが存在の底点から」「田子の浦 ヘドロは消えず」があり、個人誌「蛙声通信」を刊行

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「甲田 寿彦」の解説

甲田寿彦 こうだ-としひこ

1917-1987 昭和時代後期の市民運動家。
大正6年12月14日生まれ。静岡県内の教員をへて,昭和32年月刊「社会教育編集長。43年より富士市公害対策市民協議会初代会長として田子の浦のヘドロ公害反対運動にとりくむ。個人誌「蛙声通信」を刊行。昭和62年11月7日死去。69歳。静岡県出身。静岡師範卒。著作に「わが存在の底点から」など。

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367日誕生日大事典 「甲田 寿彦」の解説

甲田 寿彦 (こうだ としひこ)

生年月日:1917年12月14日
昭和時代の住民運動家。富士市公害対策市民協議会会長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報