立江庄(読み)たちえのしよう

日本歴史地名大系 「立江庄」の解説

立江庄
たちえのしよう

鎌倉期から大野新おおのしん庄のうちとしてみえ、南北朝期には庄園としてみえる。現立江たつえ町の一帯に比定される。元亨二年(一三二二)八月一八日の渋谷静重譲状(薩摩入来院岡元氏文書)に「大野新庄立江内(八分カ)地頭職事」とあり、静重は妻の尼教阿に譲与すること、その死後は重知・重文・乙童女が等分に相続すべきことなどが定められている。また新田ができたときはその三分の二を重知、三分の一を重文が分領することも定めており、活発な新田開発があったようである。また当地付近は宝荘厳ほうしようごん(現京都市左京区)領大野新庄に含まれていた。観応二年(一三五一)九月五日の細川頼春預ケ状(紀伊安宅文書)では「立江中庄」とあり、当庄地頭職に関する訴訟が落着するまで、その替りとして牛牧うしまき(現阿南市)地頭職が安宅備後権守に預け置かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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