金剛定院跡(読み)こんごうじよういんあと

日本歴史地名大系 「金剛定院跡」の解説

金剛定院跡
こんごうじよういんあと

[現在地名]高野町高野山

「続風土記」は西院さいいん谷廃院の一としてあげる。現存せず、廃絶時期・跡地も不詳。承久三年(一二二一)五月、後白河天皇皇女宣陽門院の御願寺として建立された。供養導師は高野山三七代検校覚海南勝房。塔は大和前司某の建立であった(信堅院号帳、文明五年諸院家帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報