鶴瀬宿(読み)つるせしゆく

日本歴史地名大系 「鶴瀬宿」の解説

鶴瀬宿
つるせしゆく

[現在地名]大和村鶴瀬

甲州道中の宿駅駒飼こまかい宿と合宿で勤め、一日から二〇日を当宿が勤めた(甲斐国志)。上りは勝沼かつぬま宿(現勝沼町)へ一里三町、下りは黒野田くろのた宿(現大月市)へ二里半で一日から一五日、阿弥陀海道あみだかいどう宿(現同上)へ二里三〇町で一六日から二〇日までを継いでいた(宿村大概帳)

天明七年(一七八七)の宿内家数六五・人数二五七(「鶴瀬宿書上帳」県立図書館蔵)。天保一四年(一八四三)の家数五八・人数二四二、本陣一・脇本陣二・旅籠屋四、人馬継問屋場は宿中ほどに一ヵ所あり、問屋一・年寄三・馬指一。宿建人馬二五人・二五疋、うち囲人馬五人・五疋(宿村大概帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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