日本歴史地名大系 「阿弥陀海道宿」の解説 阿弥陀海道宿あみだかいどうしゆく 山梨県:大月市吉久保村阿弥陀海道宿[現在地名]大月市笹子町吉久保吉久保(よしくぼ)村内に置かれた甲州道中の宿駅。江戸からは二七里二四町余の距離である。白野(しらの)宿・黒野田(くろのた)宿と合宿で、当宿は月の一六日から二二日までを勤め、東は下初狩(しもはつかり)宿から継ぎ、西は駒飼(こまかい)宿(現大和村)までを継送った。宿往還長一五町二六間、宿内町並は東西に四町二八間。東の下初狩宿からは一里一八町、西の駒飼宿までは二里一七町一二間。宿建人馬は二五人・二五疋、うち囲人馬五人・五疋。享保一三年(一七二八)七月の洪水で笹子(ささご)川北岸にあった集落が流失したので南岸に移住、ここに宿の中心が置かれた。宿名は「甲斐国志」によると、宿の南側に行基菩薩の作と伝える弥陀像を安置する阿弥陀堂があったので、当地を阿弥陀ヶ谷とよんだことに由来するという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by