1850年の妥協(読み)せんはっぴゃくごじゅうねんのだきょう(その他表記)Compromise of 1850

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「1850年の妥協」の意味・わかりやすい解説

1850年の妥協
せんはっぴゃくごじゅうねんのだきょう
Compromise of 1850

アメリカにおいて奴隷問題と西部拡大をめぐって高まった南北分裂の危機を回避するため H.クレーが妥協案として作成し,1850年8月にアメリカ連邦議会で可決された一括法案をいう。その内容は,(1) カリフォルニアを自由州として州に昇格させる,(2) テキサス境界を定め,テキサスの独立以来の借金を連邦政府が肩代りする,(3) ニューメキシコ准州とユタ准州を設立,将来この地方が州となった場合奴隷制の可否を住民の意志にまかせる,(4) 逃亡奴隷の権利を弱め,その逮捕を容易にするなど,逃亡奴隷法を強化する,(5) 連邦政府所在地コロンビア特別区 (ワシントン D. C.) での奴隷売買を禁止する,というものであった。 (1) と (5) は北部の,(2) (3) (4) は南部の利益となるものであった。これにより南北の対立は一時的に回避された。

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