原吉平(読み)ハラ キチヘイ

20世紀日本人名事典 「原吉平」の解説

原 吉平
ハラ キチヘイ

昭和期の実業家 ジェトロ理事長;元・ユニチカ会長



生年
明治33(1900)年1月15日

没年
昭和61(1986)年5月30日

出生地
福岡県福岡市

学歴〔年〕
上海東亜同文書院商務科〔大正10年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和34年〕,勲二等旭日重光章〔昭和45年〕,勲一等瑞宝章〔昭和50年〕

経歴
大正10年大日本紡績入社。戦後、昭和21年取締役、22年常務を経て、24年社長になり、戦後の復興期に大発展をとげる。39年社名をニチボーと改称。43年会長に就任、翌44年には日本レイヨンと合併してユニチカ会長となり、45年相談役を経て、47年退任。この間、日経連常任理事、ジェトロ理事長などを歴任。39年東京オリンピック女子バレーボールで優勝したニチボー貝塚の育ての親でもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原吉平」の解説

原吉平 はら-きちへい

1900-1986 昭和時代経営者
明治33年1月15日生まれ。大日本紡績(のちニチボー)にはいり,昭和24年社長,43年会長。44年日本レイヨンと合併し社名をユニチカとし,会長となる。44-49年日本貿易振興会(ジェトロ)理事長をつとめた。昭和61年5月30日死去。86歳。福岡県出身。東亜同文書院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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