上野宿(読み)うえのじゆく

日本歴史地名大系 「上野宿」の解説

上野宿
うえのじゆく

[現在地名]河芸町上野

伊勢参宮街道の宿場で、上野村の中心集落。津より二里一六町四三間、白子しろこ(現鈴鹿市)より一里三一町九間にあたる。北端にある田中たなか橋を渡って宿に入ったところがきた町で、それよりかた町・鍛冶かじ町・禰宜ねぎ町・なか町・須崎すざき町と続き、みなみ町で終わる約二キロの町並である。室町時代、伊勢参宮がしだいに盛大になるとともに宿場として発達したと考えられ、弘治三年(一五五七)三月、尾張から海上を伊勢に入った山科言継は、神戸かんべ(現鈴鹿市)で一泊した後、伝馬人夫を伴って上野に来て、馬をここで乗換えて一身田いつしんでん(現津市)へ進んでいる(言継卿記)

江戸時代に入ると、宿の中央部に本陣一軒、問屋一軒、和歌山藩の御用飛脚(通称御七里)二軒が設置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上野宿の言及

【河芸[町]】より

…三重県中央部,安芸(あげ)郡の町。人口1万6548(1995)。北は鈴鹿市,南は津市に隣接し,東は伊勢湾に面する。北西部は標高50m前後の小丘陵地で,谷間に集落と耕地が散在し,南東部には伊勢湾沿岸平野が開け,伊勢鉄道線,近鉄名古屋線,国道23号線が並走している。中心集落の上野は室町時代に伊勢参宮が活発になるにつれて宿場として発展し,江戸時代には本陣,問屋,紀州藩の御用飛脚などが置かれた。基幹産業は農漁業で,農業は米,野菜,果実を主産物とし,特に河芸ミカン,黒田キャベツは有名。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」