一身田(読み)イッシンデン

デジタル大辞泉 「一身田」の意味・読み・例文・類語

いっしん‐でん【一身田】

古代律令制の土地公有のとき、その人一代を期限として朝廷からを免除されて賜った田地いしでん。

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精選版 日本国語大辞典 「一身田」の意味・読み・例文・類語

いっしん‐でん【一身田】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 古代、本人一代を限って朝廷から腸わった田地。租を免除される。いしんでん。
    1. [初出の実例]「勅以参河国播豆郡荒廃田一百町、賜孟子内親王、為一身田」(出典:日本三代実録‐元慶二年(878)六月二日)
  2. [ 2 ] 三重県津市にある地名。この地が伊勢神宮斎王に[ 一 ]として給与されたことからの名と言われる。一五世紀後半になり真宗高田派一〇世真慧により無量寿院(のちの専修寺)が建立され、集落発達した。

いし‐でん【一身田】

  1. 〘 名詞 〙いっしんでん(一身田)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一身田」の意味・わかりやすい解説

一身田
いしんでん

三重県中部,津市北部の旧町域。1954年津市に編入伊勢街道宿駅であり,また寛正6(1465)年,真宗高田派(→高田派)10世の真慧(しんね)が建立した専修寺(せんじゅじ)の寺内町として発達。専修寺は初め東海・北陸方面教化の中心寺院であったが,栃木県真岡市高田にあった本寺が焼失したため,本山となった。国指定重要文化財の御影堂は,寛文6(1666)年,藩主藤堂高次が建てた 725畳敷の壮大な和様建築。親鸞の真筆『三帖和讃』(国宝)を含む多くの文化財を所蔵する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一身田」の意味・わかりやすい解説

一身田
いしんでん

三重県中北部、津市の一地区。旧一身田町。真宗高田派の本山専修寺(せんじゅじ)の所在地で、寺と民家方形堀内にあり、寺内町(じないまち)の典型として知られる。JR紀勢本線一身田駅、近畿日本鉄道名古屋線高田本山駅、伊勢鉄道東一身田駅があり、交通の便がよい。

[編集部]


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改訂新版 世界大百科事典 「一身田」の意味・わかりやすい解説

一身田 (いっしんでん)

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世界大百科事典(旧版)内の一身田の言及

【津[市]】より

…しかし経済活動の中核をなすのは第3次産業で,その従業者比率は全従業者の68%(1995)と高く,卸売販売額も県下第2位である。北部の一身田(いしんでん)は江戸時代に真宗高田派の本山専修(せんしゅう)寺の寺内町および参宮街道の宿場として発達した。津藩主藤堂氏の山荘であった市立偕楽公園はツツジ,桜の名所で,南部の阿漕(あこぎ)浦は海水浴場として知られる。…

【賜田】より

功田も賜与されるので,広義には賜田と解することもできる。また,賜田の一種と考えられているものに,平安時代に現れる一身田(いつしんでん)がある。本人に限って与えられた田地であるが,摂津国租帳などには賜田と区別して一身田が取り扱われている。…

※「一身田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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