大村喜前(読み)おおむら よしあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大村喜前」の解説

大村喜前 おおむら-よしあき

1569-1616 織豊-江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)12年生まれ。大村純忠(すみただ)の子。豊臣秀吉の島津攻めにしたがう。天正(てんしょう)15年肥前大村藩(長崎県)藩主大村家初代となる。2万1400石。朝鮮出兵従軍,関ケ原の戦いでは東軍に味方する。キリシタンだったが棄教。慶長12年庶家一門を追放した御一門払いを断行して権力確立をはかった。元和(げんな)2年8月8日死去。48歳。初名は喜純。通称は新八郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大村喜前の言及

【大村藩】より

…肥前国(長崎県)彼杵(そのぎ)郡大村に藩庁を置いた外様小藩。藩主大村氏。2万7973石。大村氏は鎌倉時代から地頭として擡頭し,以降中世期を通じて在地領主として発展した。1570年(元亀1)純忠は長崎を開港し,南蛮貿易を中心に外交策を展開しながら本領の確保につとめた。87年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵され,近世大名に取り立てられたが,それと同時に発布された伴天連追放令と長崎の収公によって,貿易利潤に終止符が打たれ,藩財政は成立当初から窮乏をきたした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」