ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コジモ1世」の意味・わかりやすい解説
コジモ1世
コジモいっせい
Cosimo I
[没]1574.4.21. フィレンツェ近郊カステッロ
初代トスカナ大公(1569~74)。フルネーム Cosimo de' Medici。コジモ・デ・メディチの弟ロレンツォ・デ・メディチの家系に生まれる。政界には無縁だったが,遠縁にあたるアレッサンドロ・デ・メディチが暗殺されると 1537年にフィレンツェ公に選出され,神聖ローマ皇帝カルル5世の承認を得た。1555年シエナを攻略してトスカナ全土を支配下に収め,1557年にスペイン王フェリペ2世からシエナ公の地位を授与される。1559年ミラノのメディチ家出身のピウス4世が教皇に就任すると,その立場はより強くなった。近代国家を目指して,行政・司法部門の統一や整備を推進した。政庁となる建物としてジョルジョ・バザーリにウフィツィ宮(イタリア語で事務所の意)の設計を依頼した(→ウフィツィ美術館)。またパラッツォ・ピッティ,ボボリ庭園の改築や建造にもかかわった。芸術の振興にも熱心で,この時期の公式宮廷画家にはヤコポ・ダ・ポントルモ,ブロンジーノなどがいる。1564年に長男フランチェスコ1世に領地の実質的支配を任せながら自身も公位を保った。1569年,教皇ピウス5世によりトスカナ大公の地位を与えられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報