奈川の牛稼(読み)ながわのうしかせぎ

改訂新版 世界大百科事典 「奈川の牛稼」の意味・わかりやすい解説

奈川の牛稼 (ながわのうしかせぎ)

信濃国筑摩郡奈川村(現,長野県松本市)の駄賃稼。この村は飛驒とは野麦峠で境を接する山間高地にある小村で,近世は尾張藩領であった。耕地が少ないので山稼ぎをしていたが,近世後期には牛による駄賃稼を主とした。1838年(天保9)には家数366軒,牛数83組,415匹で,1組が5匹追いであった。松本から飛驒への往還であるが,保福寺峠を越えて北国街道を越後高田まで,中山道を上州倉賀野河岸まで,甲州道中は江戸四谷まで,西は名古屋まで活躍し,〈尾州の岡船〉と称された。松本方面から出す物は刻みタバコや諸白木,檜物類,ワラビの粉,櫛などで,戻りには塩,茶,瀬戸物海草,樽入物,肴類,鉄物などを付けてきた。1827年(文政10)には,保福街道,北国街道,中山道の諸宿と宿を通るときの口銭のことで訴訟になったが,翌年に熟談内済となった。奈川の牛稼は明治末年まで盛んに行われていたが,鉄道の篠ノ井線が開通して急速に衰えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報