姥堂(読み)うばどう

日本歴史地名大系 「姥堂」の解説

姥堂
うばどう

[現在地名]熱田区伝馬町四丁目

伝馬てんま町の東端裁断さいだん橋の西南詰にあった小堂で、奪衣婆の大きな木像を祀っていた。第二次世界大戦の戦災で焼失したが、戦後再興された(ただし、像はない)。優婆堂(雑志)・媼堂(徇行記)とも書き、俗に「おんばこさん」とよばれ、神戸ごうど町の円福えんぷく寺に属していた。

奪衣婆の木像は八尺一寸あり、空海作・運慶作・安阿弥作などといわれていた。創建の年代を「名古屋市史」社寺編は延文三年(一三五八)とし、「尾張名所図会」は永禄(一五五八―七〇)の頃とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の姥堂の言及

【女人堂】より

…女人禁制の山岳霊場では,山ろくの女人結界地付近の堂が,登山礼拝を許されない女性たちの参籠の場となり,女人堂とよばれたが,名称や信仰形態は一様ではない。越中立山のふもとでは死者をむかえる姥をまつる姥堂,吉野大峰山の旧女人結界地には役行者(えんのぎようじや)の母をまつる母公(ははこ)堂があって,ここまでは女性の参詣が認められていた。また大津市坂本の比叡山旧登山道の結界地の上に,最澄が母と会った故地という花摘(はなつみ)堂があり,旧暦4月8日にかぎって参詣が許され,女性たちが花を供えに登ったと伝える。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」