宮宿(読み)みやのしゆく

日本歴史地名大系 「宮宿」の解説

宮宿
みやのしゆく

東海道五十三次の第四一宿目。熱田社に南面する海岸近くで、精進しようじん(現新堀川)から波止場までの一一町一五間。第四〇宿の鳴海なるみ(現緑区)から一里半、次の桑名くわな(現三重県)へは海上七里しちり(宮渡)であり、美濃路・佐屋さや路との分岐点でもあった。熱田社の門前なので宮宿という。天保郷帳は熱田宿と記す。熱田の町をいつから宮ともよぶようになったか明らかでなく、鎌倉期の紀行文「海道記」「東関紀行」「十六夜日記」「とはずがたり」にはすべて「熱田の宮」とみえる。しかし熱田からの移住者によって名付けられた清須きよす(現西春日井郡清洲町)町名みや町がある(この町名は清須越しによって名古屋へ移された)ので、遅くとも中世末には宮ともよばれていた。笠覆りゆうふく(現南区)蔵の文明一一年(一四七九)の売券に、「あつたの宮宿之又四郎」とみえ、これは「あつたの宮・宿の又四郎」であろうが、宿しゆく(のちの伝馬町の一部、宿町)という地名の古いことがわかる。

「海道記」に、熱田から「この浦(鳴海浦)を遥かにすぐれば、朝には入海にて魚にあらずば泳ぐべからず。

宮宿
みやしゆく

[現在地名]蔵王町宮

奥州街道の宿駅で、仙台藩領南境からは四つ目にあたる。当宿から笹谷ささや峠を越えて出羽に至る笹谷街道が分れる。「宮村安永風土記」によれば、南の白石しろいし宿へは一里二三町・本荷六八文、北のかな宿(現柴田郡大河原町)へは一里一二町・本荷五五文、笹谷街道永野ながの宿へは一里二二町余・本荷六八文であった。宿の成立は慶長(一五九六―一六一五)初年とされるが不詳。「梅津政景日記」元和七年(一六二一)八月七日条に「笹谷より白石迄参候、宮にて宇留野源兵へ殿昼振舞有」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宮宿の言及

【朝日[町]】より

…山形県中央部,西村山郡の町。1954年宮宿町,西五百川村,大谷村が合体,改称。人口9819(1995)。…

【熱田】より

…《和名抄》の愛智10郷のうち厚田・神戸郷にあたり,歴史は古い。しかし都市の形態がととのうのは永禄(1558‐70)ごろ,とくに東海道宮宿が置かれ,背後に尾張徳川氏の城下町名古屋が形成された江戸時代初頭である。市域は元禄(1688‐1704)の調査で南北27町29間余,東西6町40間余。…

【名古屋[市]】より

… 名古屋が名実ともに尾張の中心になったのは江戸時代に入ってからで,1610年(慶長15)徳川家康の名古屋城築城によるところが大きく,尾張藩祖徳川義直により,61万石の城下町としての繁栄の基礎が固められた。名古屋城下の南に位置する宮宿(みやのしゆく)(熱田)は熱田神宮の門前にあった宿場で,桑名と結ぶ東海道五十三次唯一の海上ルート七里渡(しちりのわたし)の発着地としてにぎわいをみせた。明治20年代から40年代にかけて東海道本線,中央本線,関西本線がそれぞれ全通し,1907年の名古屋港開港などによって東西の結節地としての性格を強めていった。…

※「宮宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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