行徳河岸(読み)ぎようとくがし

日本歴史地名大系 「行徳河岸」の解説

行徳河岸
ぎようとくがし

[現在地名]市川市本行徳

近世、本行徳ほんぎようとく村内に設けられた江戸川左岸の河岸場で、江戸小網こあみ町の行徳河岸との間を結んでいた。当地は中世すでに川関が置かれており、古くから交通の要衝であったが、寛永九年(一六三二)に伊奈半十郎(忠治)から船往還を命じられ、河岸場として整備されたという。このとき併せて地内に旅人改番所が、小網町には長さ一六間・横三間の旅人・送り荷の揚場が設けられている。この荷揚場(小網町三丁目の南端、現在の首都高速道箱崎ランプ入口付近)も行徳河岸とよばれていた。江戸までの路程は三里余(天明六年「本行徳村明細帳」国立史料館蔵)経路は江戸川からしん川に入り小名木おなぎ川を経て隅田すみだ(大川)を横断し小網町行徳河岸に至るもので、行徳領特産の塩を江戸に運ぶために開削されたものとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の行徳河岸の言及

【河岸地】より

…火災の延焼防止のため,荷物の高積み禁止などの取締りも厳しかった。日本橋川沿いの魚河岸・四日市河岸(木更津河岸)・米河岸・小舟河岸・行徳河岸,京橋川沿いの白魚河岸・竹河岸などをはじめ,外濠・紅葉川・三十間堀・神田川・隅田川・汐留川・新堀川・江東地区諸水路沿いなどに多くの河岸地があった。木更津河岸はその使用権が木更津湊の人々に与えられたこと,また行徳河岸は行徳塩の専用揚場としての特権が与えられたことに始まる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」