改訂新版 世界大百科事典 「〓蟬県碑」の意味・わかりやすい解説
蟬県碑 (ねんていけんぴ)
Chǒmchehyǒn-bi
朝鮮民主主義人民共和国,平壌の西約40km,平安南道温泉郡の旧海雲面にある花コウ岩製の石碑。秥蟬神祠碑とも呼ばれる。1913年に発見された。現在,高さ1.44m,幅1.19m,厚さ約13cmを測るが,上部を欠失する。前面に罫線を引き,隷書体で7行80字を刻んでいる。風化が進んで判読できない文字もあるが,後漢章帝の時期にあたる,元和2年(85)4月戊午に,楽浪郡に属する秥蟬県の長が,県の官吏と協議し神祠を建てて,碑石に辞を刻したものである。平山という山の神を祀り,その神徳の霊顕によって,百姓長寿,五穀豊穣たらんことを祈願している。当初は平山君神祠の参道に立っていたものと思われる。発見された時は,小道のわきの耕地に傾いて立っていた。碑文は《後漢書》祭祠志にみえる,元和2年正月の詔に対応し,また,その内容から,石碑が立っていた地点の南西方約500m余りの所にある於乙洞土城が,漢代の秥蟬県治址であることがわかった。
執筆者:西谷 正
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