中国の漢の武帝が,前108年衛氏朝鮮を平定して,その故地に設置したいわゆる〈漢四郡〉の一つで,その代表的なもの。武帝は前109年(元封2)衛氏朝鮮王朝最後の国王,衛右渠の抗命を理由に出兵して,翌年これを平らげ楽浪ほか3郡をおいて朝鮮を直接支配下に編入した。楽浪郡の中心地はほぼ現在の平壌付近に比定される。最初の領域は現在の大同江,清川江沿岸から鴨緑江下流方面にわたるものと推定され,朝鮮半島北西部の重要な地域を包括するものであった。諸史料によってみてもこの地域は古くから中国と深い関係をもち,政治,文化などあらゆる面で中国との交流の大動脈の機能を担う地域的特性をもっていた。楽浪郡の存続はおよそ4世紀にわたるが,その歴史はのちの帯方郡分立をはさんで2期に分けられる。漢帝国の衰退は周辺諸族の台頭を招来したが,楽浪郡も周辺民族の侵入によって逐次縮小の途を歩むことになる。すなわち,前82年(始元5),漢は早くも真番,臨屯の2郡を廃止し,さらに玄菟(げんと)郡も縮小してそれらの一部は楽浪郡に編入された。続いて後漢の光武帝時代,後30年(建武6)には楽浪東部のいわゆる嶺東7県が廃止された。しかし楽浪郡の消長の上からみて最も重大な変化は帯方郡の新設である。これより先,遼東の豪族,公孫氏は楽浪郡をその支配下に入れていたが,中国支配の弛緩に乗じて半島南部には韓・濊(わい)諸族の活動が旺盛となり,郡の南部を脅かすにいたったので,204年(建安9)公孫度は支配体制強化のため郡をほぼ二分して,南半を帯方郡と称した。やがて3世紀前半,曹魏(三国魏)は公孫淵を殺し,楽浪・帯方2郡は魏の支配下におかれ,ついで晋の治下におかれた。一方晋末の動乱に乗じて,かねてから野心をもっていた満州(現,中国東北)の強国高句麗は南下して313年ころ楽浪郡を滅ぼし,帯方郡も前後して韓・濊諸族によって併合された。
楽浪郡はこうして滅び去ったが,その4世紀もの長きにわたる存続を通じて中国の前進基地として果たした歴史的意義はすこぶる大きい。すなわち,この期間に東夷諸族を直接間接に支配し,この支配によって中国の高度の文化に刺激された東夷諸族に独自の国家形成の契機を与えたことである。邪馬台国の女王卑弥呼の使者が帯方郡を経由して中国に赴いたことは周知のところである。また〈楽浪文化〉の名称で珍重される文化遺産は主として漢代前後の工芸品が多く,銅製の祭器,金銀の装飾品,絹織物,すぐれた鋳鉄技術を示す各種の出土品,とくに木簡文書を納めた封泥(ふうでい)やおびただしい印章などは膨大な調査報告として今日に残されている。遺跡の研究報告も多大の成果を残しているが,解放後は現地の研究者に受けつがれている。ただし,最近の朝鮮民主主義人民共和国の史学界の見解は,楽浪郡の所在を在来の定説よりもさらに北方の遼河流域方面に求め,楽浪郡の性格も単なる中国の郡県支配ではなく,〈楽浪国〉とか〈帯方国〉ともいうべき韓族の一大在地勢力として認識すべきであるという説が唱えられており,今後の研究にまつところが多い。
執筆者:村山 正雄
楽浪郡は25の県からなっていたが,ほぼ現在の朝鮮民主主義人民共和国平安南道から黄海北道を中心とする地域にあたる。郡治は朝鮮県にあったが,楽浪郡治址は,平壌の市街地から大同江を挟んで対岸の平壌市楽浪区域土城洞一帯に比定される。この低丘陵地帯に遺存する土城からは〈楽浪礼官〉〈楽浪富貴〉の4文字を配した瓦当や,封泥の文字を刻んだものが出土している。郡治址は東西約700m,南北約600mの範囲に,およそ31万m2を囲んで不整形に土塁がめぐらされている。城壁内では,古くから遺物が採集されていたが,1935年,37年に,土城内中央の台地の東側斜面で部分的な発掘調査が行われた。その際,瓦葺き礎石建物,塼築(せんちく)井戸,塼敷歩道,玉石溝などの遺構や,赤く焼けたしっくいや炭化した木柱,瓦塼,封泥などが検出された。これまでに城内から種々の遺物が出土しているが,瓦塼や陶器類が最も多く,封泥,金属製武器・武具,漆器,ガラス・水晶製装身具,貨幣,同鋳型とつづく。郡治址出土の遺物のなかで,とりわけ注目されるのは封泥であって,〈楽浪大守章〉や〈楽浪大尹章〉のような郡の官印のほか,〈朝鮮令印〉〈長岑(ちようしん)長印〉〈昭明丞印〉〈不而左尉〉など,郡下25の県の令・長・丞・尉の官印が含まれる。
また,楽浪郡治址の南方から東方にかけて,現在の平壌市楽浪区域貞栢洞付近一帯には,千数百基以上の古墳が群集して分布する。この楽浪古墳群は,1,2世紀ころを境にして,木槨(もつかく)墳から塼築墳へと変化する。木槨墳は,たとえば,王光墓でみるように,方形の竪壙内に,角材をもって槨をつくり,L字状に仕切られた内槨に,夫婦用の二つの木棺が安置される。木槨の上部は,やはり角材で横架してから粘土で覆い,さらに封土を盛り上げて方形の墳丘をつくる。木棺内からは,被葬者に装着されていた装身具類が出土する。内槨の北から西にあるL字状空間には,被葬者の身分や地位を示す〈楽浪大守掾王光之印〉の木印をはじめ,陶器,漆器,調度品,車馬具,武器など多くの副葬品を納める。木槨墳は,漆器の紀名銘や銅鏡の鏡式から,前漢末から後漢にかけて盛行したことがわかる。塼築墳は,塼で横穴式の墓室と羨道をつくったもので,墓室内には,二つないしそれ以上の木棺が安置される。副葬品には,陶器,漆器,武器,銅鏡,貨幣,明器(めいき)などがあるが,木槨に比べて盗掘を多く受け,出土量は少ない。副葬品や使用塼の紀年銘からみると,塼築墳は後漢から西晋にかけて,さらに楽浪郡滅亡後の東晋まで長く営まれている。
執筆者:西谷 正
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前漢のなかばから西晋(せいしん)の末ごろまで、現在の平壌(ピョンヤン)を中心とする西北朝鮮に置かれた中国王朝の地方行政組織。紀元前108年に漢は西北朝鮮一帯を支配していた衛氏(えいし)朝鮮を攻め滅ぼし、この地方に真番(しんばん)、臨屯(りんとん)、楽浪、玄菟(げんと)の4郡を設置した。他の3郡はまもなく廃止されたり中国本土側へ移転したりしたが、楽浪郡は約400年間、歴代王朝の機関として、今日の平安南道、黄海南・北道にわたる地域に存続した。郡の領域には若干の消長があり、3世紀初頭のころには南半部が分離して帯方(たいほう)郡となった。楽浪、帯方の2郡はのちに高句麗(こうくり)勢力の南下にあい、中国本土への移転を余儀なくされた。楽浪、帯方の名を冠した行政機関は中国で6世紀まで存続したが、通常は郡の機構が朝鮮半島を離れたとされる313年をもって楽浪郡の滅亡としている。楽浪、帯方の2郡は朝鮮半島と日本列島に少なからぬ政治的、文化的影響を与えた。邪馬台(やまたい)国の卑弥呼(ひみこ)の使者が中国に朝貢した際、この2郡を経由したことは有名である。
楽浪郡に関係する遺跡の調査は、第二次世界大戦前から行われている。今日までに行政機関の所在地と思われる土城(土塁を巡らした遺跡)が数か所で発見され、その周囲に多数の墳墓がつくられたことが明らかになっている。このうち平壌市南部、大同江南岸の楽浪土城は規模が大きく、出土品などから楽浪郡の中心地と考えられている。この土城の付近には2000基以上の墳墓があり、金銀器、青銅器、漆器など豊かな副葬品をもつことで知られている。楽浪郡の文化は中国文化を基調としつつも在地の文化伝統を取り入れた独特のものであり、北方ユーラシアの騎馬民族文化との関係も注目されている。
なお北朝鮮では、楽浪郡は中国の遼寧(りょうねい)省方面にあったのであり、平壌周辺の遺跡は郡とは関係のない朝鮮半島固有の人々が残したものとする説が行われているが、この説には文献的にも考古学的にも疑問がある。
[谷 豊信]
『駒井和愛著『楽浪』(中公新書)』▽『朝鮮大学校歴史学研究室編『朝鮮史』(1976・朝鮮青年社)』
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漢の武帝が前108年衛氏(えいし)朝鮮を平定,設置した朝鮮四郡の一つ。郡治は現在の平壌(ピョンヤン)付近。郡の最盛期は前漢時代で,以後支配範囲を縮小しつつ,3世紀初め遼東の公孫氏(こうそんし)の支配下に入ると,郡の南半は帯方郡として新設された。そののち魏,西晋に継承されて,313年高句麗に滅ぼされた。楽浪郡の400年間の支配は,朝鮮と日本に漢文化を伝え,各地の開化に大きい影響を与えた。楽浪郡時代の出土品(特に金銀装身具,漆器類)は,ほとんどが漢代の工芸品である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
前漢の武帝が前108年,衛氏朝鮮を平定して真番・臨屯・玄菟(げんと)とともにおいた4郡の一つ。はじめ郡域は朝鮮半島北西部,現在の平安南道から黄海道の地。前82年に真番・臨屯両郡の大半を併合,さらに3世紀初頭に南半部が分離して帯方(たいほう)郡となった。中国本土から多くの官吏・商人らが移住し,その文化は周辺諸民族に大きな影響を与えたが,313年に高句麗に滅ぼされた。郡治は現在の平壌市南部,大同江南岸の楽浪土城とされる。「漢書」は,前1世紀に倭人(わじん)が定期的に朝貢したと記している。
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