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楽浪郡 らくろうぐん Le-lang jun; Rakrang-gun

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

楽浪郡
らくろうぐん
Le-lang jun; Rakrang-gun

中国,漢の武帝朝鮮半島に開設した4郡の一つ。武帝は衛氏朝鮮の右渠王が辰国など周りの諸国と漢の通交を妨害したという理由で,元封2 (前 109) 年出兵し,衛氏朝鮮は頑強に抵抗したが前 108年首都王険城 (現在の平壌といわれる) が陥落して滅び,漢は衛氏朝鮮の版図内に楽浪ほか3郡をおいて朝鮮を直接支配した。

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デジタル大辞泉の解説

らくろう‐ぐん〔ラクラウ‐〕【楽浪郡】

前108年、前漢武帝衛氏朝鮮を滅ぼして設置した朝鮮四郡の一。現在の平壌(ピョンヤン)が中心。3世紀初頭、南半部が帯方郡(たいほうぐん)となって分離。313年、高句麗(こうくり)に滅ぼされた。大同江南岸にある都城址や墳墓群からは、金銀器・青銅器・漆器・玉器などを出土。

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百科事典マイペディアの解説

楽浪郡【らくろうぐん】

漢の武帝が設けた朝鮮四郡(漢四郡)の一つ。前108年衛氏朝鮮を滅ぼして設置。他の臨屯郡・真番郡(前者は現在の咸鏡南道江原道方面,後者は楽浪郡以南と比定する説が有力だが,異説もある)はまもなく廃され,玄菟(げんと)郡は遼東に移されたが,楽浪郡は現在の平壌付近を中心に長く存続。
→関連項目漢氏朝鮮秦氏

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世界大百科事典 第2版の解説

らくろうぐん【楽浪郡 Lè làng jùn】

中国の漢の武帝が,前108年衛氏朝鮮を平定して,その故地に設置したいわゆる〈漢四郡〉の一つで,その代表的なもの。武帝は前109年(元封2)衛氏朝鮮王朝最後の国王,衛右渠の抗命を理由に出兵して,翌年これを平らげ楽浪ほか3郡をおいて朝鮮を直接支配下に編入した。楽浪郡の中心地はほぼ現在の平壌付近に比定される。最初の領域は現在の大同江,清川江沿岸から鴨緑江下流方面にわたるものと推定され,朝鮮半島北西部の重要な地域を包括するものであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

楽浪郡
らくろうぐん

前漢のなかばから西晋(せいしん)の末ごろまで、現在の平壌(ピョンヤン)を中心とする西北朝鮮に置かれた中国王朝の地方行政組織。紀元前108年に漢は西北朝鮮一帯を支配していた衛氏(えいし)朝鮮を攻め滅ぼし、この地方に真番(しんばん)、臨屯(りんとん)、楽浪、玄菟(げんと)の4郡を設置した。他の3郡はまもなく廃止されたり中国本土側へ移転したりしたが、楽浪郡は約400年間、歴代王朝の機関として、今日の平安南道、黄海南・北道にわたる地域に存続した。郡の領域には若干の消長があり、3世紀初頭のころには南半部が分離して帯方(たいほう)郡となった。楽浪、帯方の2郡はのちに高句麗(こうくり)勢力の南下にあい、中国本土への移転を余儀なくされた。楽浪、帯方の名を冠した行政機関は中国で6世紀まで存続したが、通常は郡の機構が朝鮮半島を離れたとされる313年をもって楽浪郡の滅亡としている。楽浪、帯方の2郡は朝鮮半島と日本列島に少なからぬ政治的、文化的影響を与えた。邪馬台(やまたい)国の卑弥呼(ひみこ)の使者が中国に朝貢した際、この2郡を経由したことは有名である。
 楽浪郡に関係する遺跡の調査は、第二次世界大戦前から行われている。今日までに行政機関の所在地と思われる土城(土塁を巡らした遺跡)が数か所で発見され、その周囲に多数の墳墓がつくられたことが明らかになっている。このうち平壌市南部、大同江南岸の楽浪土城は規模が大きく、出土品などから楽浪郡の中心地と考えられている。この土城の付近には2000基以上の墳墓があり、金銀器、青銅器、漆器など豊かな副葬品をもつことで知られている。楽浪郡の文化は中国文化を基調としつつも在地の文化伝統を取り入れた独特のものであり、北方ユーラシアの騎馬民族文化との関係も注目されている。
 なお北朝鮮では、楽浪郡は中国の遼寧(りょうねい)省方面にあったのであり、平壌周辺の遺跡は郡とは関係のない朝鮮半島固有の人々が残したものとする説が行われているが、この説には文献的にも考古学的にも疑問がある。[谷 豊信]
『駒井和愛著『楽浪』(中公新書) ▽朝鮮大学校歴史学研究室編『朝鮮史』(1976・朝鮮青年社)』

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