アバクム(英語表記)Petrovich Avvakum

改訂新版 世界大百科事典 「アバクム」の意味・わかりやすい解説

アバクム
Petrovich Avvakum
生没年:1620-82

17世紀ロシアの長司祭モスクワ総主教ニコンの典礼改革に反対した分離派(ラスコーリニキ)の指導者。ニジニノブゴロド州グリゴロボ村の司祭の子として生まれた。当時のロシアでは教会改革の機運が高まっており,聖職についたアバクムも当初は積極的に改革運動に関与した。のちモスクワでクレムリンのカザン大聖堂の長司祭となった。しかしニコンがモスクワ総主教となり(1652),当時のギリシア慣行に従った典礼改革にのりだすと,アバクムは正面からこれに反対した。ニコンは皇帝の権力を背景に反対派(分離派または古儀式派と呼ぶ)に弾圧を加え,アバクムはシベリアに追放された。ニコンの失脚とともにモスクワに戻ったが,のちに僻遠のプストゼルスクに追放され(1666),1682年に分離派に対するきびしい迫害の開始とともに同地で火刑に処せられた。流刑中に執筆した《自伝》(1672)は,口語に近い自由な文体と深い宗教性のゆえに,17世紀ロシア文学の傑作とされる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアバクムの言及

【ラスコーリニキ】より

…この分派は1667年に正教会によって破門され,以降,国家権力の迫害にさらされることになった。指導者の長司祭アバクムは2度にわたって追放され,82年に火刑に処せられた。 ラスコーリニキは,一部の貴族,聖職者,農民,商人など広範な階層から成り,一種の社会運動の様相を見せたため,分離後の約80年は激しい弾圧をこうむった。…

【ロシア文学】より

…モスクワ時代の一元性,孤立性は17世紀初頭の〈動乱〉,17世紀半ばの〈教会分裂(ラスコール)〉によって根底からゆるがされ,文学の中にも新しい要素が現れる。世紀後半の〈世俗物語〉と呼ばれる宗教的色彩の少ない作品群や,教会分裂の際の分離派教徒の指導者アバクムの《自伝》(1672‐75)がその代表的作品である。後者は元来〈聖者の伝記〉を意味した〈ジチエーzhitie〉という名称を自作の表題にかかげつつ,自分自身の生涯を生きた口語的なロシア語で赤裸々に描いた力強い作品である。…

※「アバクム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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