旺文社世界史事典 三訂版 「アフガニスタン共和国」の解説
アフガニスタン共和国
アフガニスタンきょうわこく
Afghanistan
交通の要地で,古くはアケメネス朝・アレクサンドロス大王・バクトリアの支配下にあった。クシャーナ(クシャン)朝のとき,ガンダーラ美術が開花した。その後,パルティア・ササン朝ペルシアの支配をへて,7世紀前半にイスラームがおこるとその勢力が及び,10世紀にはトルコ系のガズナ朝が建てられた。さらにセルジューク朝・イル−ハン国・ティムール帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国の支配を受け,18世紀前半にはイラン・セム両系混血のアフガン人による連合王国のドゥッラーニー朝が建てられた。19世紀になると,前王朝との抗争に勝利したバーラクザイ朝(1826〜1973)が樹立された。この王朝下で,2回にわたるアフガン戦争によってイギリスの保護国とされたのち,1919年独立した。1973年7月,アフガニスタン−クーデタで王政を廃止して共和政に移行したのち,78年に再びクーデタが起こり,親ソ政権が誕生した。1979年になるとイラン−イスラーム革命の影響をうけ,親ソ派とイスラーム原理主義派との間での内戦が始まった。同年9月に誕生したアミン政権を打倒するため,12月ソ連がアフガニスタンに軍事介入を開始した。ソ連の介入は約10年続き,1988年のジュネーヴ合意で撤退を開始し,89年2月に完了した。その後も,アフガニスタン国内では内戦が続いている。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報