日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガズナ朝」の意味・わかりやすい解説
ガズナ朝
がずなちょう
Ghazna
10世紀のなかごろから12世紀後半にかけてのアフガニスタン地方のトルコ系王朝(962~1186)。ガズニー(ガズナ)を首都としたので、この名がある。ペルシア系サーマーン朝のトルコ人奴隷アルプティギーンAlptigīn(在位962~963)によって創始され、その奴隷サブクティギーンSubktigīn(在位977~997)のときに支配権力が確立した。彼の治世からすでにインドへ侵入軍を送っているが、その子マフムードMamūd(在位998~1030)のとき十数回にわたって侵攻を繰り返し、カナウジ、マトゥラなどの諸都市やグジャラート地方を攻略した。財宝で知られたソムナート寺院の略奪は史上もっとも有名である。しかし一方では、ペルシア風イスラム文芸を奨励して、アル・ビールーニーや詩人フィルドウスィーなどを優遇している。王朝は、この勇王マフムードの死後は急速に衰え、のちゴール朝勢力に押されて西北インドに小領域を保ちつつ存続したが、1186年ついにゴール朝のインド侵入軍によって最終的に滅ぼされた。
[荒 松雄]