アブル・アラー・アル・マアッリー(読み)あぶるあらーあるまあっりー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アブル・アラー・アル・マアッリー
Abū al-`Alā' al-Ma`arrī

[生]973. マアラットアンヌーマーン
[没]1057/1058. マアラットアンヌーマーン
アラブの詩人。4歳のとき失明バグダードに遊学し,特権階級腐敗失望,バスラに移り,そこで自由思想家たちと交わった。晩年は身体不随となりながらも,故郷の町の長として住民の支配にあたった。その詩は宗教や人生に対する深刻な疑惑をたたえ,オマル・ハイヤームの先駆者ともいわれる。『火打石のひらめき』 Saqt al-zandは若き日の抒情詩集で,難解をもって知られる。『ルズーミーヤート』 Luzūmiyyāt (本題『肝要ではない必要事』 Luzūm mā lā yalzamの略称) は壮年期の詩集で,彼の思想の深さを示している。『許しの書』 Risālat al-Ghufrānは文学,哲学などの諸問題を論じた書簡体の散文集。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アブル・アラー・アル・マアッリー
あぶるあらーあるまあっりー

マアッリー

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