アユタヤの日本人町跡(読み)アユタヤのにほんじんまちあと

世界の観光地名がわかる事典 「アユタヤの日本人町跡」の解説

アユタヤのにほんじんまちあと【アユタヤの日本人町跡】

タイ中部、古都アユタヤの中心部からチャオプラヤー川沿いに南に下った西岸にある、アユタヤ王朝時代の日本人居住区の遺跡。17世紀(江戸時代初期)に朱印船(しゅいんせん)貿易を行っていた商人傭兵の日本人が築いた町で、最盛期には1500人以上の日本人が暮らしていたといわれる。日本で関ヶ原の戦いがあったころ、ビルマミャンマー)のタウングー王朝からの攻撃にさらされていた当時のアユタヤ王朝は、実戦経験豊富な日本人を傭兵として雇い入れた。その傭兵隊長を務めたのが山田長政である。1630年ごろ、謀反を理由にこの町は焼き払われ廃墟となった。◇「日本人村」(Japanese Village)などとも呼ばれる。

出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報

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