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朱印船 シュインセン

6件 の用語解説(朱印船の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

しゅいん‐せん【朱印船】

近世初期、朱印状を受けて外国との貿易に従事した船。豊臣秀吉の朱印状を携えた南蛮貿易船に始まったが、鎖国により全面的に禁止された。御朱印船。しゅいんぶね。

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百科事典マイペディアの解説

朱印船【しゅいんせん】

朱印船とも。徳川将軍家が発行した朱印状海外渡航許可証)を携帯し,貿易に従事した商船。朱印状は室町時代琉球貿易船にも下付されたが,この制度を完備したのは徳川家康
→関連項目アユタヤ朝大湊(三重)元和航海記織豊政権セーリス長崎貿易投銀南蛮貿易南洋日本人町浜田弥兵衛奉書船ヤン・ヨーステン

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅいんせん【朱印船】

〈御朱印船〉ともいう。朱印船とは近世初頭において政府から〈異国渡海御朱印状〉といわれる外国向け(正しくは南洋諸地域向け)の渡航証明書,あるいは船籍証明書を与えられて渡航した船舶をいう。この場合,上記の朱印状を発行した日本の政府と,その効力を認めようとする相手国の政府との間に,相互にこの〈朱印状〉についての了解,承認,あるいは協定の成立が前提となっていた。朱印船制度は1592年(文禄1)豊臣秀吉によって創設されたといわれていたが,その後の研究で92年ではないが,92‐95年の間に成立したとされた。

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大辞林 第三版の解説

しゅいんせん【朱印船】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朱印船
しゅいんせん

朱印船貿易」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朱印船
しゅいんせん

御朱印船ともいい、豊臣(とよとみ)秀吉や徳川幕府が出した外国渡航許可の朱印状をもって、東南アジア各地へ渡った貿易船。すでに室町時代に、九州探題や対馬(つしま)の宗(そう)氏は朝鮮国の倭寇(わこう)対策に沿って貿易船に「書契」や「文引」をもたせ、琉球(りゅうきゅう)渡航船は島津氏の「印判」を必要とした。また1584年(天正12)ころの毛利(もうり)氏の一被官は、赤間関(あかまがせき)(下関)に来航する明(みん)の泉州船に通交貿易の安全を約して船印の旗を遣わしている。朱印船制度は、統一権力が海賊禁止令を出す一方、在地勢力の個別的な外交貿易を掌中に収め、あわせて国内におけるその地位を国際的に承認させる手段であった。また朱印状を得た渡航者にとっては海上や先々での安全と有利な取引が期待できた。
 秀吉による1592年(文禄1)創設説には異論もあるが、98年(慶長3)ころ禅僧の豊光寺承兌(ぶこうじしょうたい/しょうだ)が下付事務を担当していたことは事実で、「豊臣」の朱印が押されたらしい。徳川氏はこの制度を受け継ぎ、整備発展させた。下付希望者は幕府重臣を紹介者として、染筆の謝礼若干を添えて願い出ると、承兌や後任の円光寺元佶(げんきつ)、金地院崇伝(こんちいんすうでん)らが、大高檀紙(おおたかだんし)に「自日本、到/(渡航地)船也/右」と下付年月日とを、計4行に大書し、徳川家康は「源家康弘忠恕(こうちゅうじょ)」、秀忠(ひでただ)期は「源秀忠」の朱印をそれぞれの面前で押捺(おうなつ)し、包紙に申請者名を書いて渡した。1隻1航海につき1通で、貸与や譲渡は許されなかった。
 1604年(慶長9)から、鎖国により奉書船が廃絶される35年(寛永12)までの、判明している朱印船の総数は356隻、下付された者105人に上っている。渡航地は海禁の中国大陸を避け、頻度順に交趾(こうち)、シャム、ルソン、安南、カンボジア、高砂(たかさご)(台湾)など、遠きはマラッカ、ジャガタラ、モルッカなどの計19地。寄港地には日本町が形成された。派船者は島津、松浦(まつら)、有馬、加藤、鍋島(なべしま)などの西国大名10氏、長崎奉行(ぶぎょう)ほかの武士4名、京の角倉(すみのくら)、茶屋、大坂の末吉(すえよし)、長崎の末次(すえつぐ)、高木らの代官的豪商以下、素性不明の者も多い。李旦(りたん)、華宇(はう)、ヤヨウス(ヤン・ヨーステン)、三浦按針(あんじん)(ウィリアム・アダムズ)らの在留外人も23人に及ぶ。船は平均200~300トンの大型船で、洋式の造船・航海術も取り入れ、客貨混載で400人近く乗り込む例もあった。
 一時は海外でヨーロッパ、アジアの外国船を圧したが、国内市場ではポルトガル、中国、オランダ、イギリスなどの諸国人と競合し、幕府の統制強化と相まって、鎖国前には8氏9艘(そう)ほどに限られていた。[中村 質]
『岩生成一著『朱印船貿易史の研究』(1958・弘文堂)』

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世界大百科事典内の朱印船の言及

【大賀九郎左衛門】より

…福岡藩の初期に重きをなした御用商人,朱印船貿易家。大賀家は豊前中津の出身で大神氏の子孫といわれ,黒田氏の中津より福岡転封にともない,博多に移った。…

【鎖国】より

…家康はW.アダムズらによって世界情勢についての新しい知識を得るとともに,秀吉の強硬外交に代わり,和親通交の方針によってヨーロッパと東アジアの諸国に対した。朱印船制度にもとづく東南アジア諸地域との相互交通の推進は,日本を中心とした公的通交秩序の形成を意図したものといえる。ポルトガルの長崎貿易に対しては京都,堺,長崎3ヵ所商人を主体とする糸割符制度を施行して生糸貿易の統制をはかるとともに,イスパニアに対しては江戸近辺への来航を促し,通商を求めた。…

【天竺徳兵衛】より

…1707年(宝永4)徳兵衛は両度の渡海と東南アジアの寄港地の見聞を長崎奉行所に提出したが,これが世上に流布して《天竺徳兵衛物語》《渡天物語》などと称された。内容には地理的な誤りなどもあるが,山田長政など南方移住日本人の記述や朱印船貿易の記事は貴重である。彼の見聞記は,のち4世鶴屋南北の《天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)》など歌舞伎,浄瑠璃に脚色された。…

【南洋日本人町】より

…17世紀初めごろから末近くまで,東南アジア各地に形成された日本人居留民の町。日本人の海外渡航はすでに16世紀の終りごろから増加していたが,朱印船制度(朱印船)の確立とともに一段と盛んになった。1636年(寛永13)の第4回鎖国令発布までの約30年間に発給した朱印状の数は合計356通に達するが,実際の渡航船隻数はこれより多かったと考えられる。…

【平野藤次郎】より

…大坂平野郷の豪家末吉の一統で,朱印船貿易家,銀座頭役,それに摂津国平野の代官職を務めた。父は末吉藤右衛門の三男次郎兵衛(長成)といい,その次男が藤次郎(正貞)で姓を平野と改めた。…

【舟∥船】より


[日本における発達と停滞]
 同じ16~17世紀のころ,短い期間ではあったが日本人が南中国から東南アジアに進出した時期があり,日本の船の歴史のうえで特異な光を放つ船が現れる。朱印船は政府の発行する貿易公認状(朱印状)をもつ船のことで,この制度の始まる17世紀初頭のころは中国の船を買ったり,そっくりまねて作る例が多かったと考えられている。当時の日本の船はようやく準構造船の域を脱して幅の広い厚板を組み立てる箱形構造船になり,帆装も2本マストに小型の横帆を張る遣明船や,秀吉の朝鮮出兵に動員された船の程度にはなっていたが,まだフィリピンや東南アジアへの渡海をするには不十分だった。…

【和船】より

…現存史料による限り,〈百済船(くだらぶね)〉〈唐船(からふね)〉〈宋船〉〈暹羅船(シヤムせん)〉〈南蛮船〉などの対語としての〈倭船〉ないし〈和船〉なる文字は,少なくとも幕末前には見当たらない。では,日本の船のことは何と記しているかというと,〈遣唐使船〉〈遣明船〉〈朱印船〉〈安宅船(あたけぶね)〉,〈関船(せきぶね)〉(のち船型呼称となる),〈御座船〉〈荷船〉〈樽廻船〉〈くらわんか舟〉など用途による名称,〈茶屋船〉〈末吉船〉〈末次船〉〈荒木船〉など所有者名を冠するもの,〈伊勢船〉〈北国船(ほつこくぶね)〉〈北前船(きたまえぶね)〉〈高瀬舟〉など,地名を冠してはいるが実は船型を表すもの,〈二形船(ふたなりぶね)〉,〈ベザイ船〉(弁財船とも書かれる),〈菱垣廻船〉〈早船(小型のものは小早(こばや))〉など船型や艤装(ぎそう)を指す呼称,〈千石船〉(ベザイ船の俗称),〈三十石船〉など本来船の大きさ(積石数(つみこくすう)。現用の載貨重量トン)を表した呼称が船型名称のごとく使われるようになったものなど,個々の船種船型名称が記されているのが一般である。…

※「朱印船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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