日本大百科全書(ニッポニカ) 「アリク・ブハ」の意味・わかりやすい解説
アリク・ブハ
ありくぶは
Arïq-Böge
(?―1266)
モンゴル帝国でフビライと大ハン位を争った人物。チンギス・ハンの嫡腹の末子トゥルイの第6子。母は父の正后ソルコクタニ。彼女から生まれた嫡出子の憲宗モンケ、世祖フビライ、フラグの末弟にあたる。父の末子として、アルタイ山脈周辺の遺領を相続し、兄モンケの即位後は、フビライが中国を含む東方を、フラグがイランを含む西方を担当して外征したのに対し、彼は本土にとどまり、兄を補佐した。1256年に始まるモンケの南宋(なんそう)遠征には、国都カラコルムにあって留守を預かったが、1259年モンケが四川(しせん)で病没すると、後継者選定のクリルタイ(国会)を召集し、モンケの遺子、遺臣、ジュチとチャガタイ両王家など多くに推戴(すいたい)され即位した。しかしフビライは左翼系の諸王、諸将を糾合して新帝と称したため、両派の武力闘争に発展(1260)、カラコルムを争奪したが、チャガタイ家のアルグの離反で敗勢濃くなり、1264年降伏し、1266年病死した。
[杉山正明]
『ドーソン著、佐口透訳『モンゴル帝国史3』(平凡社・東洋文庫)』