チンギス・ハーンの長子。中国史料では朮赤,拙赤。生没年については諸説があり,1172年生れともいわれる。父を助けて国家建設にたずさわり,イルティシ川流域に所領を与えられた。オイラート部をはじめとする,モンゴル高原北西部のいわゆる〈森林の民〉を平定し,所領の経営にあたる一方,1211年から始まる金朝攻撃の際には,右翼軍として,山西・河北の攻略に従事した。19年のホラズム・シャー朝に対する遠征でも,右翼軍司令官として,オトラルからシル・ダリヤ川下流域を征服し,首都ウルゲンチ攻略に加わった。しかし,その後の遠征には参加せず,父の帰国後も,カスピ海,アラル海方面の草原にとどまっていたが,父チンギス・ハーンとの不和が伝えられるなか,ほどなく病没した。彼の所領を核として,のちにキプチャク・ハーン国が成立する。
執筆者:堀川 徹
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