アルナルドゥスデウィラノウァ(その他表記)Arnaldus de Villanova

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アルナルドゥス・デ・ウィラノウァ
Arnaldus de Villanova
生没年:1240ころ-1311ころ

スペインの錬金術哲学者。フランス名アルノー・ド・ビルヌーブArnaud de Villeneuve。神学,哲学,法学,医学の教育をパリ,モンペリエなどで受け,ラテン語,ギリシア語はもとより,アラビア語,ヘブライ語も自由に駆使し,多くのすぐれた錬金術の著作を書いた。なかでも,《哲学者たちの薔薇》がとくに光っている。一時期バルセロナで,医者として実務についたこともある。広く旅をし,その過程でかの有名なルルスにも出会い感化を受けたといわれる。しかし結局は,異端者として教会から破門され,当時アラビア文化でとくに繁栄していたシチリア島フリードリヒ2世のもとに逃れたと伝えられる。13世紀の最も傑出した錬金術的哲学者は,R.ベーコン,アルベルトゥス・マグヌス,ルルスであるが,アルナルドゥスもそれらの人たちに十分並びうる人物であろう。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアルナルドゥスデウィラノウァの言及

【メランコリー】より

…いずれにせよ,メランコリーはその非生産性のゆえに精神遅滞とならんで一番早く精神の病として疎外され,また,気質としてもその陰気さや不活発さのため四気質のなかでもっとも卑しく価値の低いものとみなされた。中世では新たな説明原理として占星術が加わり,たとえばアルナルドゥス・デ・ウィラノウァは,火星の色と熱が胆汁の色と熱に近いところから,メランコリーの原因がこの惑星にあると考えたが,土星に関係があるという説も根強かった。 メランコリーがしかし歴史の脚光をあびるのはルネサンス期に入ってからで,たとえばドイツの画家デューラーは1514年に有翼の女性の沈思の姿をかりて銅版画《メレンコリア・I》を描き,同時代のミケランジェロはメディチ家の廟を《ペンセローソ(沈思の人)》で飾り,1世紀後のミルトンも同名の詩をつくってメランコリーを賛美する。…

【錬金術】より

…ブドウがブドウ酒となり,さらに蒸留されて強力な〈燃える水(アクア・アルデンスaqua ardens)〉となる事実,それにともなういろいろのアルコール蒸留はすでに12世紀ごろには認められ,アルコールは13世紀には薬として使用されはじめた。アルナルドゥス・デ・ウィラノウァは,14世紀のはじめにこの水を記述し,その治癒的な力を賞賛した。彼のほかに,後のパラケルススの医化学に道をひらく人文主義的な錬金術的医学思想は,B.ウァレンティヌス,ルペスキッサのヨハネスJohannesたちによって,14~15世紀に用意された。…

※「アルナルドゥスデウィラノウァ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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