モンペリエ(読み)もんぺりえ(英語表記)Montpellier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンペリエ」の意味・わかりやすい解説

モンペリエ
もんぺりえ
Montpellier

フランス南部、エロー県の県都。マルセイユの北西164キロメートル、レズ川河畔の丘陵上に位置する。人口22万5392(1999)、27万7639(2015センサス)。かつて地中海に臨む海港都市であったが、港は川の沖積作用でその機能を失った。行政・商業都市として発達しているが、とくにワイン、ブランデーの取引が重要である。また繊維、製鉄、化学、食料品に加えて、近年は電気、電子などの工業が盛んである。旧制度下では下ラングドック地方の中心都市で、1289年創立の大学や、フランス最古の植物園、ファーブル美術館、司教座教会サン・ピエール大聖堂などがあり、文化都市としての性格が強い。また、ラングドック地方の海岸の整備事業により、観光地としても発展している。実証主義哲学者コントの生誕地。

[青木伸好]

歴史

オリエントとの地中海香料交易の拠点として開かれた町で、10世紀には、モンペリエとモンペリエレの双子町を形成し、マグロンヌ司教領に属した。13世紀初めにアラゴン王国に吸収されたが、14世紀にはフランス王国に編入された。1289年、ヨーロッパ最古の医学部をもつモンペリエ大学が創立され、大学都市として発展した。ここに学んだ者のなかに人文主義者ペトラルカ、政治家マザラン、また教授医学・人文学者ラブレーの名をみることができる。1593年にフランス最初の植物園も開かれ、文化的環境に優れた都市となった。16世紀の宗教戦争時代にはユグノーの拠点となり、ナントの王令以降も激しく抵抗したが、1622年ルイ13世の国王軍に攻囲され屈した。その城壁は取り壊され、逆にパリの国王政府に直属する地方監察官アンタンダンの居住地として王政の地方拠点となった。

[千葉治男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンペリエ」の意味・わかりやすい解説

モンペリエ
Montpellier

フランス南部,エロー県の県都。ニーム南西約 50km,ラングドック地方の海岸平野に位置する行政,文教の中心都市。起源は8世紀頃といわれ,12世紀にはすでに医学校,法律学校があり,13世紀には総合大学が設立されて,ラングドック地方の学問の中心地,商業都市として栄えた。 16~17世紀にはカトリックとカルバン両派の抗争などにより通商活動は衰退。ルイ 13世の時代に長年の宗教戦争に和平がもたらされ,以来この地方の行政の中心地として発展。豊かな果樹栽培地帯にあり,ブドウ,リンゴ,さくらんぼう,モモなどが栽培され,古くからそれらの加工,集散が行われている。電機,電子,食品などの工業も発達。都市計画による美しい町並みをもちベネディクト会の修道院 (12世紀) ,大学 (13世紀) ,フランス最古の植物園 (16世紀) など中世の史跡が多い。ペルーの遊歩場 (17~18世紀) は市街を見渡す景勝地として知られる。国立高等農学校が所在。人口 25万2998(2008)。

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