アレクシオス1世(その他表記)Alexios Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「アレクシオス1世」の意味・わかりやすい解説

アレクシオス[1世]
Alexios Ⅰ
生没年:1048-1118

ビザンティン皇帝。在位1081-1118年。小アジアの大豪族コムネノス家出身の軍人政治家。ニケフォロス3世を武力で倒し,コムネノス朝(1081-1185)を開く。ノルマン軍の来襲ペチェネグ族の首都攻略および第1回十字軍の国内通過をいずれも巧妙な政略で乗り切った。ノルマンに対しては関税特権と引換えにベネチア軍事援助を,ペチェネグ族に対してはクマン族の軍事援助を得て事なきをえた。十字軍の騎士たちからは小アジアの旧ビザンティン領返還の約束を部分的に実現させた。国内ではプロノイア制度の浸透による封建化が進み,加えてイタリア商業都市の進出により国内経済が不振に陥り,帝国の衰退現象が濃厚となった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アレクシオス1世」の解説

アレクシオス1世(アレクシオスいっせい)
Alexios Ⅰ

1057頃~1118(在位1081~1118)

ビザンツ帝国コムニノス朝の創始者。対外的にはバルカン半島に侵入したノルマン人を撃退し,ドナウ川を越えて侵入したパズィナク族(ペチェネグ)やエーゲ海を荒らしたトゥルクメン族のチャカを撃ち,第1回十字軍を機にセルジューク・トルコに侵略された小アジアから西側沿岸部を回復した。国内では支配階級再編を意図した爵位改革と貨幣の悪化を阻止した貨幣改革を行った。

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世界大百科事典(旧版)内のアレクシオス1世の言及

【十字軍】より

…そして,ビザンティン帝国の対イスラム防衛戦争にノルマン人出身のシチリア遠征隊をはじめ西欧騎士の傭兵隊が導入されるようになると,ローマ教皇庁のビザンティン帝国救援政策が聖地解放のための企てとして具体化された。ピアチェンツァ会議(1095年3月)に列席したビザンティン皇帝アレクシオス1世Alexios Iの使節はイスラムによる被害を誇張し,東方正教会守護の緊急性を訴えた。教皇ウルバヌス2世はこの要請を受けいれて援助を確約したが,教皇の意図は次のようなものであったと推論される。…

※「アレクシオス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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