ノルマン人(読み)ノルマンジン(英語表記)Normans
Normands[フランス]

デジタル大辞泉 「ノルマン人」の意味・読み・例文・類語

ノルマン‐じん【ノルマン人】

Normanスカンジナビア半島・デンマーク地方を原住地としたゲルマン人の一派。航海術に長じ、8世紀ごろからバイキングとして欧州各地に侵入。10世紀、一部がノルマンディー地方に移住、11世紀にイングランドを征服してノルマン朝を建て、また、両シチリア王国ノブゴロド公国を建国した。

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精選版 日本国語大辞典 「ノルマン人」の意味・読み・例文・類語

ノルマン‐じん【ノルマン人】

  1. 〘 名詞 〙 ( ノルマンは Norman 「北方人」の意 ) 北欧人の一人種。北ゲルマン族に属し、長身で皮膚の色が白く、金髪青眼が多い。スカンジナビア・デンマークが原住地。七、八~一二世紀に各地に移動、バイキングとして各地の海岸を劫掠。八世紀以降ブリテン島、その後フランク王国にも侵寇、九一一年北フランスにノルマンディー公国を建て、一〇一六~四二年、イングランド全域を征服。別に南イタリアに進出した一派は両シチリア王国を建て、またロシアの起源となるノブゴロド公国も建てた。更に北欧三国を建国、また一部はアイスランドグリーンランド・北アメリカにも達した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ノルマン人」の意味・わかりやすい解説

ノルマン人 (ノルマンじん)
Normans
Normands[フランス]

〈北の人〉を意味し,元来は,北ゲルマン人やバイキングを指したが,バイキングの西欧への南下に伴い,歴史的にはさまざまな意味で用いられるようになった。

(1)9~11世紀のバイキングおよびその故国住民(スカンジナビア人)は,西欧ではノルトマンニNortmanniまたはノルマンニNormanniと呼ばれた。これは古北欧語の〈北norð〉と〈人maðr〉の複数形mennの合成語のラテン語表記である。今日,〈ノルウェー人〉はノルウェー語でNordmann,デンマーク語でNordmandと表記され,〈ノルマン〉と発音される。ここから英語のノースメンNorthmen,フランス語のノルマンNormans,Normandsが生じた。

(2)デンマーク系を中心とするバイキングの一グループは9世紀初めからセーヌ川下流地方を根拠地としていたが,9世紀末になるとライン河口地帯およびイングランドから敗退したバイキングをも吸収した。911年西フランクのシャルル3世単純王は,これらセーヌ・バイキングの首領ロロとの間に,彼らが現実に居住している地域を封土として与えるかわりに,シャルルを王としてその臣下となる封建的主従契約を結んだ。これ以後セーヌ川下流地方は〈ノルマン人の国〉すなわちノルマンディーと呼ばれ,ロロとその後継者はノルマンディー公となる。これに伴い,(1)のバイキング一般を指すノルマン人という用語法から分離して,ノルマンディー地方の北欧出身の騎士たちが〈ノルマン人〉の呼称を受け取り,さらにノルマンディー地方住民一般がノルマン人Normandsと呼ばれるようになっていった。英語ではバイキングをノースメン,ノルマンディー人をノルマンNormansという。

(3)この新しいノルマン人は,バイキングの造船・軍事技術などいくつかの伝統を保持したが,ほとんどの場合,他のフランス貴族と通婚し,また現地住民を妻妾としたため,急速にスカンジナビア人の人種的な特質を失い,1066年のイングランドに対するノルマン・コンクエストの頃(指導者ウィリアム1世征服王はロロから6代目の公)には,フランス語しか話せぬフランス人だったといってよい。この征服の経緯を絵と短い文章で示す《バイユーのタピスリー》には,この戦いがアングル人とフランク人の戦いとされている。(3)の意味でのノルマン人は,南イタリア,シチリア,ビザンティン帝国などでも,征服者,傭兵などとして政治史的に大きな役割を演じた(シチリア王国ロベール・ギスカール)。パレスティナにアンティオキア公国を樹立したボエモンら,十字軍の初期に活躍する〈フランク人〉も,多くノルマン騎士である。

(4)ノルマンディーにはフランスの他の地域からも土地に不足した騎士たちが流入し,ノルマン・コンクエストに参加した。したがってイングランドでは,〈ノルマン人〉はアングロ・サクソン人と対比した征服者側を指すことになり,人種的・民族的概念にとどまらず,フランス語を行政用語とし,整備された封建兵制をもつ支配層を指す政治的・階級的概念ともなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノルマン人」の意味・わかりやすい解説

ノルマン人
のるまんじん
Normans

デンマーク、スカンジナビア半島を原住地としたゲルマン人の一派。北方人の意で、ビーキング(バイキング)ともよばれる。ゲルマン民族大移動の際には移動しなかったが、8~11世紀に人口増加による土地、食糧の不足などからヨーロッパ各地に侵入。冒険心に富み、航海術に長じ、商業のほか略奪など海賊的活動を行ったが、とくにフランス北西岸、イギリス北東岸の修道院や都市を襲った。西フランクのシャルル単純王は、セーヌ川、ロアール川をさかのぼって内陸深く侵入するのを防ぐため、911年首領ロロにノルマンディーを与えて公とし、フランスに同化させた。その後ノルマンディー公ウィリアムは、イギリスのエドワード懺悔(ざんげ)王から王位継承の約束を得たが、1066年エドワードの死後その約束を違えてイギリス王となったハロルド2世に対し王位を要求し、イギリス南東岸のヘースティングズで戦死させ、同年末ロンドンに入ってウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開いた(ノルマン・コンクェスト)。また他方、11世紀初頭よりノルマンディーから南イタリアに渡って傭兵(ようへい)として活躍する者も多かったが、タンクレッドの子ロベール・ギスカール(ロベルト・グイスカルド)は、教皇の認可を得て南イタリアを征服し、両シチリア王国建設の基礎を開き、その甥(おい)ロジェール2世時代の繁栄を招いた。ノルマン人の植民活動は、このほかロシア、シェトランド諸島オークニー諸島アイルランド、さらにアイスランド、グリーンランドから北アメリカ大陸まできわめて広い範囲に及んだが、とくに彼らの北海、地中海における商業活動は11~12世紀の商業復活につながり、ヨーロッパ中世の発展に大きく貢献した。

[富沢霊岸]

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百科事典マイペディア 「ノルマン人」の意味・わかりやすい解説

ノルマン人【ノルマンじん】

ゲルマン人の一派で,北ゲルマンに属する。北方人の意。スカンジナビア,デンマーク地方に居住して,狩猟・漁労を営んでいたが,8―12世紀に各地に移動・建国した。はじめバイキングとして各地の海岸地帯を劫掠(ごうりゃく)。10世紀初め北フランスにノルマンディー公国を建て,1066年イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト),地中海に進出して両シチリア王国を建設。また東欧に進出,9世紀にはノブゴロドを中心に建国(ロシアの起源)。他方アイスランド,グリーンランドを経て,一時北米にも達した。デンマーク,スウェーデン,ノルウェー3国も彼らの建設した国。
→関連項目デーン人デンマークノルウェー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノルマン人」の意味・わかりやすい解説

ノルマン人
ノルマンじん
Normans; Nordmenn

スカンジナビア半島地方のデンマークに住み,8世紀以降バイキングと呼ばれる海賊として,ヨーロッパ各地を略奪して恐れられた北方ゲルマン諸部族。語義は「北方人」。9世紀後半からデーン人を中心とするバイキングがフランス北西部のセーヌ川下流地域を侵略。 10世紀初頭,ロロを指導者とするバイキングがセーヌ川地域を占領し,911年のシャルトルの戦いの結果,西フランク王シャルル3世 (単純王) からエプト川以北の地を公式に与えられ,ノルマンディー公国を建設し,フランス語を話し,キリスト教に改宗して定着した。彼らは祖先バイキングの奔放で順応性に富む性格を残し,城塞の構築や騎馬戦を巧みに取入れるとともに,ヨーロッパでも最も強力な封建国家をつくり上げ,1066年ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵入して,ノルマン朝を開いた。また聖地巡礼に加わり,南イタリア,シチリア島にまで遠征し,1130年には両シチリア王国を建設した。また,9世紀後半スウェーデン人の一部はリューリクに率いられてノブゴロド公国を建設し,ノルウェー人の一部はアイスランド,グリーンランドに植民した。北欧3国もまたノルマン人によって建国された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ノルマン人」の解説

ノルマン人
ノルマンじん
Normans

スカンディナヴィア半島・ユトランド半島を原住地とする北ゲルマン人。「北方人」の意
8〜12世紀に活躍。初期にはおもに商業活動に従事したが,ヴァイキングとして海賊や略奪を行い,のち民族移動の性格を帯びて各地に定着した。イギリスのデーン朝,ノルマン朝,ロシアのノヴゴロド国,フランスのノルマンディー公国,イタリアの両シチリア王国などを建て,西ヨーロッパ世界の形成に大きな影響を与えた。また,その一派は,アイスランド・グリーンランド・北アメリカの一部にも到達。

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世界大百科事典(旧版)内のノルマン人の言及

【バイキング美術】より

…古くは5世紀ごろにまでさかのぼる。北フランスおよび地中海方面に定着したバイキングの一派,いわゆるノルマン人の美術はやがてロマネスク美術に吸収されてその一流派を形成することとなる。しかしそれ以外のものは,スカンジナビア美術史の一時期を占めるものと考えてよい。…

【バスク】より

…古代から貴金属類の産出がみられ,12~15世紀には製鉄が行われていたことが特許状の存在からも明らかとなっている。また9世紀ノルマン人がビスケー湾岸へ到達し,バスク人は彼らから航海術を習得した。伝統的な農牧業,漁業に加え,中世には鉱業,木材の運搬に伴う海運業が栄えた。…

【民族大移動】より

…東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。なお,〈バイキング〉の項を参照。…

※「ノルマン人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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