現代外国人名録2016 「アンソニーキーディス」の解説
アンソニー キーディス
Anthony Kiedis
- 職業・肩書
- ロック歌手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1962年11月1日
- 出生地
- ミシガン州グランドラピッズ
- グループ名
- グループ名=レッド・ホット・チリ・ペッパーズ〈Red Hot Chili Peppers〉
- 受賞
- グラミー賞(第35回)〔1992年〕「ギブ・イット・アウェイ」,グラミー賞(第42回)〔1999年〕「スカー・ティッシュ」
- 経歴
- 父親は俳優であり、自身も子役として映画に出演した経験をもつ。1982年ハリウッドで高校の同級生フリーらと共にレッド・ホット・チリ・ペッパーズを結成し、ボーカルを担当。’84年プロデビューし、ファーストアルバム「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」をリリース。’90年初来日。メンバー交替を重ねながらも、パンク、ファンク、ヒップホップとロックを融合したミクスチャー・ロックと呼ばれる独自の作風を確立し、センセーショナルなライブ・パフォーマンスでも人気を集めた。’91年にはアルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が全世界で約1000万枚を売り上げる大ヒットとなり、シングルカットされた「ギブ・イット・アウェイ」もグラミー賞を獲得するなど、一気にロック界の頂点に立った。’92年には2度目の来日ツアーを行うが、その途中でギタリストのジョン・フルシアンテが脱退。その後、デイブ・ナバロをギタリストに迎えて再起を図るが、アルバム「ワン・ホット・ミニット」のあとナバロも脱退した。’97年には第1回フジ・ロック・フェスティバルに出演するため来日し、直前に右腕を骨折するというアクシデントに見舞われながらもステージで熱唱した。’98年にはフルシアンテがバンドに復帰し、’99年発売の「カリフォルニケイション」は全世界で1500万枚を売り上げただけでなく、シングル「スカー・ティッシュ」でバンドとしては2度目となるグラミー賞を受賞。2006年4年ぶり9枚目となるアルバム「ステイディアム・アーケイディアム」を発表、同作からシングルカットされた「ダニー・カリフォルニア」は日本の映画「デスノート」の主題歌にもなった。他のアルバムに「母乳」(1989年)、「バイ・ザ・ウェイ」(2002年)、「アイム・ウィズ・ユー」(2011年)などがあり、自伝に「スカー・ティッシュ」がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報