イブラーヒームパシャ(その他表記)Ibrāhīm Pasha

改訂新版 世界大百科事典 「イブラーヒームパシャ」の意味・わかりやすい解説

イブラーヒーム・パシャ
Ibrāhīm Pasha
生没年:1789-1848

ムハンマド・アリー朝の第2代エジプト総督(ワーリー)。ムハンマド・アリー長子養子とも言われる。上エジプト地方での旧支配階層マムルーク勢力の掃討,対ワッハーブ派戦役,ギリシア解放戦争出兵,第1次,第2次シリア戦争に司令官として従軍,数々の戦果を挙げる。シリア領有をめぐって東方問題が激化したときには,最前線にあって難局にあたる。1840年のロンドン条約締結によって帰国。48年には第2代エジプト総督となるが,就任直後に病没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イブラーヒームパシャ」の意味・わかりやすい解説

イブラーヒーム・パシャ
Ibrāhīm Pasha

[生]1789. カバッラ
[没]1848.11.10. カイロ
ムハンマド・アリー息子 (養子ともいわれる) で,エジプトの支配者。 1805年にエジプトに渡って父を助け,11年からは上エジプトで治安回復にあたった。 16年にはアラビア半島のワッハーブ派の軍隊と戦ってこれに勝ち,ジッダ知事となった。 24年からのギリシア独立戦争に介入し,31年からのシリア征服戦にエジプト軍を率いて活躍し,33年シリア総督となり,40年に解任されるまでシリアの近代化に努めた。 48年,父からパシャの位を譲られてエジプトの事実上の支配者になったが,まもなく急死した。

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世界大百科事典(旧版)内のイブラーヒームパシャの言及

【ギリシア解放戦争】より

…蜂起軍の主体は農民だったが,23年から指導部内にコロコトロニスと新興地主層(コジャバシ),コジャバシと船団所有者の間に対立が生じた。さらに25年スルタンのマフムト2世がエジプトのムハンマド・アリーに援軍を要請し,その子イブラーヒーム・パシャの軍隊がモレア半島を攻略するに及んで蜂起軍は苦境に立たされた。イブラーヒーム軍はついでギリシア人が英雄的な抵抗を示したミソロンギを攻略して全滅させ(1826年4月),アテネも占領した。…

※「イブラーヒームパシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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