日本大百科全書(ニッポニカ) 「いほぬし」の意味・わかりやすい解説
いほぬし
いおぬし
『増基(ぞうき)法師集』ともいい、増基の自撰(じせん)家集。熊野紀行、雑纂(ざっさん)部分、遠江(とおとうみ)日記の3部分からなる。作者増基を、『大和(やまと)物語』『後撰集』所出の増基と同一人物と考えるか、同名の別人とするか、また熊野紀行の結尾にみえる荒廃した「京極の院」を、源雅信(まさのぶ)・重信(しげのぶ)の堤第(つつみてい)、藤原兼家の法興院、藤原道長の土御門殿(つちみかどどの)のいずれと推定するかなどによって、成立説は10、11世紀にかけてかなり幅がある。いほぬし(庵主)という人物に仮託し、熊野紀行は住吉、吹上などを経ての熊野参詣(さんけい)記で、観念的な無常観とともに旅先の風物や僧庵の風情をも描き出し、とくに家集から日記文学への発展を示唆、また後の歌僧たちの風流行脚(あんぎゃ)の先駆をなす。遠江日記は詞書(ことばがき)も簡単、詠作を旅路のように編纂(へんさん)したもの。
[木村正中]
『増淵勝一編著『いほぬし本文及索引』(1971・白帝社)』