ウンターデンリンデン(読み)ウンターデンリンデン(英語表記)Unter den Linden

精選版 日本国語大辞典 「ウンターデンリンデン」の意味・読み・例文・類語

ウンター‐デン‐リンデン

  1. ( [ドイツ語] Unter den Linden菩提樹の下」の意 )[ 異表記 ] ウンテル‐デン‐リンデン ベルリン中心街。西はティーアガルテンブランデンブルク門から、東は旧マルクス‐エンゲルス広場に至る。一九九〇年東西両独の統合まで、東ドイツに含まれていた。

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世界の観光地名がわかる事典 「ウンターデンリンデン」の解説

ウンターデンリンデン【ウンターデンリンデン】
Unter den Linden

ドイツの首都ベルリン(Berlin)のブランデンブルク門からシュプレー川沿いのプロイセン王宮に至る、長さ1.4kmの大通り。◇「ウンターデンリンデン」は「菩提樹(ぼだいじゅ)の下の通り」という意味だが、その名称どおり、通りの中央が菩提樹の並木の続く散策路になっていて、各所ベンチなどが設置されて、物売りや散策する人たちでにぎわいを見せている。この並木の菩提樹は1647~1675年にかけて植えられたものである。また、この大通り沿いには、ベルリンの主要な歴史的建造物が集中している。

出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウンターデンリンデンの言及

【ベルリン】より

… この沈滞に終止符を打ったのは,ベルリン生れの大選帝侯フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)であった。彼は1658年から85年にかけ,ベルリンとケルン,および1667年に市となったフリードリヒスウェルダーFriedrichswerderを囲む城壁を築き,これを城塞化するとともに,濠の外にウンター・デン・リンデンUnter den Linden通り(1647敷設)をはさむドロテーンDorotheen市を建設し,さらに,のちにベルリンの中心街となるフリードリヒFriedrich市の建設にも着手した。また新教を保護したため,フランスを去った20万人のユグノーのうち6000人がベルリン(1685年の人口は1万7500)に移住し,繊維産業をはじめ商工業の発展に大きく貢献した。…

※「ウンターデンリンデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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