ブランデンブルク門(読み)ブランデンブルクモン

デジタル大辞泉 「ブランデンブルク門」の意味・読み・例文・類語

ブランデンブルク‐もん【ブランデンブルク門】

Brandenburger Torドイツの首都ベルリンにある門。1788年から1791年にかけて、プロイセン王国の凱旋門として、建築家カール=ゴットハルト=ラングハンスにより建造された。旧東西ベルリン境界に位置し、現在は東西ドイツ統合の象徴とされる。

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世界の観光地名がわかる事典 「ブランデンブルク門」の解説

ブランデンブルクもん【ブランデンブルク門】

ドイツの首都ベルリン(Berlin)のシンボルとされている門。高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mで、砂岩でできている。◇パリ広場の東に面していて、ブランデンブルク門を通って東に進むと、ウンターデンリンデンを経て、ベルリン王宮(ベルリン宮殿)に至る。かつてのベルリンは都城都市で、城壁がめぐらされ、18ヵ所の城門があった。ブランデンブルク門はその一つで、1868年に城壁と城門は取り壊されたが、唯一例外として残った。この門の名称は、かつてプロイセンの首都が置かれていたブランデンブルクに通じる道に門があったことによる。この城門は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により、建築家カール・ゴットハルト・ラングハンスが古代ギリシア風の城門として設計し、1788年から3年間かけて建設した。アテネアクロポリスの入り口にあったプロピュライアの門をモデルにしていて、門の上には「クアドリガ」と呼ばれる四頭立ての馬車に乗った勝利女神ビクトリア彫刻がある。東西ドイツに分かれ、ベルリンも東と西に分割されていた時代には、ブランデンブルク門は東ベルリンの西の境界にあり、それ以上先に進めない行き止まりとなっていたが、東西ドイツの統一で、門としての役割が果たせるようになった。このため、ブランデンブルク門は東西ドイツ統一の象徴といわれている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブランデンブルク門」の意味・わかりやすい解説

ブランデンブルク門 (ブランデンブルクもん)
Brandenburger Tor

ベルリンにある石造の都市門。西方のブランデンブルク市へと向かうウンター・デン・リンデン通り終端に位置する。1788-91年建設。プロイセンの新古典主義建築の傑作。建築家はラングハンスCarl Gotthard Langhans,門上の四頭立馬車は彫刻家シャドーGottfried von Schadowの作。アテネのアクロポリスのプロピュライアを模したドリス式による簡潔な造形はベルリン都市美化の象徴となったが,東西ベルリンの境界線に位置していた(東西ベルリンは1990年10月のドイツ統一とともに統一された)。
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百科事典マイペディア 「ブランデンブルク門」の意味・わかりやすい解説

ブランデンブルク門【ブランデンブルクもん】

ドイツ,ベルリンにある凱旋門。1791年,プロイセン王国時代に,アテネの神殿建築を模して完成。幅65m,高さ26mで,門の上に勝利の女神像がある。ベルリンが東西に分断していた時代は,事実上〈ベルリンの壁〉の一部になっていて通り抜けができなかった。1989年に壁が崩壊してからはそれが可能になり,東西統一ベルリンの象徴でもある。
→関連項目シャドウ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブランデンブルク門」の意味・わかりやすい解説

ブランデンブルク門
ブランデンブルクもん
Brandenburger Tor

ドイツ,ベルリンにある記念門。 K.ラングハンスによって,1789~94年に科学的,考古学的に正確な古代ギリシア建築の再興の試みとして建てられた。頂部にはクアドリガが施され,様式はドーリス式で,18世紀後半から 19世紀にかけてのドイツにおけるギリシア・リバイバルの先駆的作品。東西ベルリン分断の時代には東ベルリンに属し,封鎖され分断の象徴となっていたが,1989年 12月 22日に再び開放された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブランデンブルク門」の意味・わかりやすい解説

ブランデンブルク門
ぶらんでんぶるくもん
Brandenburger Tor

旧東・西ベルリンの境界にある門で、1945~90年には東西ドイツ分裂の象徴であった。パリの凱旋(がいせん)門にも比せられる。ベルリン第1区ミッテ(中央)区西端にある。1788~91年にK・G・ラングハンスによって古典的様式で建築され、門上には当時の名彫刻家シャドーの手になる「4頭立ての古代ローマ戦車を駆る女神」の像を頂いている。第二次世界大戦の戦災を受けたため、1958年にこの女神の像は銅で新たに鋳造された。

[佐々木博]


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世界大百科事典(旧版)内のブランデンブルク門の言及

【ベルリン】より

… 18世紀末から19世紀初めにかけベルリンは,科学アカデミー(1700設立)の会員にA.vonフンボルト,ゲーテ,フィヒテを迎え,しだいにフランス文化の影響を脱しつつあった。ドイツ古典主義の誕生を告げるといわれるブランデンブルク門が造られたのもこの時代(1791完成)である。1806年,ナポレオンはこのブランデンブルク門からベルリンに入り,11月21日,有名な大陸封鎖令を宣言,ベルリンは以後2年間にわたりフランス軍の占領下におかれた。…

※「ブランデンブルク門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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