オルミュッツの条約(読み)オルミュッツのじょうやく(その他表記)Olmütz Punktation

旺文社世界史事典 三訂版 「オルミュッツの条約」の解説

オルミュッツの条約
オルミュッツのじょうやく
Olmütz Punktation

1850年11月,オーストリアプロイセンドイツ統一主導権を争った際に結ばれた条約
プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世は,小ドイツ主義立場からオーストリアを除くドイツ連盟案を企てたが,オーストリアは強硬に反対し,ロシアもこれを支持したため,同年オーストリアとモラヴィアオルミュッツで条約を結んだ。これによりドイツ連盟案は破棄され,ウィーン体制にもとづくドイツ連邦復活が決定された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

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