オルミュッツの条約(読み)オルミュッツのじょうやく(その他表記)Olmütz Punktation

旺文社世界史事典 三訂版 「オルミュッツの条約」の解説

オルミュッツの条約
オルミュッツのじょうやく
Olmütz Punktation

1850年11月,オーストリアプロイセンドイツ統一主導権を争った際に結ばれた条約
プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世は,小ドイツ主義立場からオーストリアを除くドイツ連盟案を企てたが,オーストリアは強硬に反対し,ロシアもこれを支持したため,同年オーストリアとモラヴィアオルミュッツで条約を結んだ。これによりドイツ連盟案は破棄され,ウィーン体制にもとづくドイツ連邦復活が決定された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む