お船江跡(読み)おふなえあと

日本歴史地名大系 「お船江跡」の解説

お船江跡
おふなえあと

[現在地名]厳原町久田 白子

江戸時代、久田くた浦の西に造成された入江の跡。県指定史跡。厳原港の南、久田浦に注ぐ久田川河口に築かれ、対馬藩公用船を係留した。寛文三年(一六六三)に竣工されたもので、現在もよく遺構が保存される。内側に四基の突堤と五つの船渠が並び、満潮時に木造の巨船が出入りでき、干潮時に干上るようになっている。「海東諸国紀」に仇多浦(久田浦)の次に「造船五浦十余戸」とあるが、五浦は尾浦おうらのことで、造船とは久田浦内の施設と考えられることから、中世より造船の伝統があった浦に新たに船江が普請されたことになる。対馬藩は多くの公用船を有していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む