ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カイソン・ポムビハン」の意味・わかりやすい解説
カイソン・ポムビハン
Kaysone Phomvihane
[没]1992.11.21. ビエンチャン
ラオスの政治家。ベトナム人の父とラオス人の母の間に生れた。ハノイ大学法学部在学中インドシナ共産党系の学生運動に参加,ホー・チ・ミンやボー・グエン・ザップらの指導を受けた。のちラオスに戻って反仏反日運動に加わり,1945年 10月 S.プーマ,スファヌボンらのラオ・イサラ (自由ラオス) 創立に参加。 50年パテト・ラオ抵抗政府の国防相,55年ラオス人民党 (1972年ラオス人民革命党と改称) 創立とともに書記長に就任し,人民解放軍最高司令官を兼任。ラオスにおける反政府運動の中心人物となり,75年 12月ラオス人民民主共和国成立に伴い首相に就任。 90年まで首相をつとめた。 86年の第4回党大会以後ベトナムとの友好関係を保ちながら内外政策の転換をはかり,社会主義体制の改革に先鞭をつけた。
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