日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガルダン・ツェレン」の意味・わかりやすい解説
ガルダン・ツェレン
がるだんつぇれん / 噶爾丹策凌
Galdan Tsering
(?―1745)
ジュンガル王国第5代の君主(在位1727~45)。父ツェワン・アラプタンの後を継いで即位した。1731~32年に前後二度、アルタイ山脈を越えて清(しん)朝の藩部である外モンゴリアのハルハ部の住地へ侵入した。しかし、エルデニ・ジョー付近の戦いで大敗し、やがてアルタイ山脈を両国の国境とする条件で清朝と講和した(1737)。こうして東方進出を断念した彼は、隷属民(アルバトゥ)である東トルキスタンのウイグル・トルコ人(回部)の支配を強化するばかりでなく、チベットでの勢力回復を図り、カザフ人の住地へ侵入するなど、しきりに画策したが成功せず、その死後は内乱状態に陥った。
[羽田 明]