改訂新版 世界大百科事典 「キャフタ会議」の意味・わかりやすい解説
キャフタ会議 (キャフタかいぎ)
中国,清朝滅亡後,外モンゴルの法的地位確定のため開かれた会議。1911年辛亥革命で清朝が崩壊すると,モンゴルの王公,ラマ僧らは独立を宣言,ボグド・ハーン政権を組織し,内モンゴルをも含めた主権国家を作ろうとした。だが翌年成立した中華民国はこの独立を認めず,一方モンゴル側から援助を求められたロシアは中国宗主権下での外モンゴル自治の形成と外モンゴルにおける経済権益獲得をめざした。ロシアは問題解決のためまずボグド・ハーン政権と〈露蒙協定〉(1912)を締結,その自治を承認する一方経済権益を得た。ついで中国と〈露中宣言〉(1913)をとりかわし,中国の外モンゴルへの宗主権を認めるかわりに外モンゴルにおける経済権益を承認させた。かくしてこのモンゴル問題の最終的解決のため,ロシア,中国,ボグド・ハーン政権三者による会議がキャフタ(恰克図)において行われた(1914年9月~1915年6月)。この結果締結された〈キャフタ協定〉で,ボグド・ハーン政権による中国宗主権下の外モンゴル自治およびロシアの外モンゴルにおける特殊経済権益が認められた。このような外モンゴルの地位は,ロシア革命後,1919年中国により一方的に取り消されるが,キャフタ協定で認められた外モンゴル自治領域が,今日のモンゴル国領土の起源となるなど,多くの影響をのちに及ぼした。
執筆者:中見 立夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報