中華民国(読み)ちゅうかみんこく

精選版 日本国語大辞典 「中華民国」の意味・読み・例文・類語

ちゅうか‐みんこく チュウクヮ‥【中華民国】

[一] 辛亥革命後の一九一二年から中華人民共和国が成立した一九四九年まで、中国を代表する政府が採用した国名。一九二七年を境として、前半軍閥混戦を背景とした北京政府時代と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都前者は北京、後者南京
[二] 一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府が使用している名称

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デジタル大辞泉 「中華民国」の意味・読み・例文・類語

ちゅうか‐みんこく〔チユウクワ‐〕【中華民国】

辛亥しんがい革命後、1912年から中華人民共和国が成立するまでの中国の国号。また、1949年に共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民政府が現在用いている名称。→台湾

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百科事典マイペディア 「中華民国」の意味・わかりやすい解説

中華民国【ちゅうかみんこく】

略称民国辛亥(しんがい)革命の結果,その革命勢力を結集して,1912年に成立した中国で最初の共和国。1913年第2革命,1915年―1916年袁世凱の帝制運動を経て,第3革命さらに軍閥政権混沌(こんとん)たる抗争の後,1925年広東国民政府が成立し,1928年中国国民政府として統治権を独占し,統一した。その間,1924年の第1次国共合作,1926年―1928年の北伐,1927年の国共分裂などがあり,1937年日中戦争勃発(ぼっぱつ)により,国共は内戦を停止して抗日民族統一戦線結成。戦後1947年に五権憲法を発布し,1948年4月中華民国新政府が成立した。しかし,国共の内戦は激化し,中国国民政府は本土を失い台湾に移った。1949年10月に成立した中華人民共和国では,中華民国は解消したとみる。台湾の国民政府は中華民国と称している。元首は総統(1975年蒋介石総統の死以後の変動については,台湾の項目を参照)。行政中心は台北。→中華人民共和国
→関連項目蒋介石青天白日旗中国国民党

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「中華民国」の解説

中華民国(ちゅうかみんこく)

1912年に建国されたアジア初の共和国。12年から28年にかけては北京政府がこれを代表したが,軍閥同士の戦争があいつぎ,国内は分裂状態にあった。28年以降は北伐を完成させ,国家統一を実現した中華民国国民政府が中華民国を代表した。しかし南京政府指導者である蒋介石(しょうかいせき)の独裁に批判が高まり,反蒋戦争が続発した。蒋は中国国民党による一党独裁体制のもとで国家建設を推進したため,国民党内部と中国共産党などからの強い反発を受け続けた。37年の日中戦争勃発後は重慶に撤退し,連合国の一員として日本に抗戦した。日中戦争中は日本との和平を求めた汪兆銘(おうちょうめい)が,南京で一時中華民国国民政府を名乗る傀儡(かいらい)政権を打ち立てた。重慶国民政府が日中戦争に勝利したのち,中国共産党との対立が深まり,内戦が勃発した。国共内戦に敗北した中華民国政府は,49年12月に台湾に撤退した。中国大陸では,49年10月中華人民共和国が成立し,中華民国の存在は否定されたが,冷戦体制のもと,アメリカなど主要国との外交承認は継続した。71年の国際連合脱退後は承認国が激減し,国際政治上孤立した。88年に成立した李登輝(りとうき)政権以降は,中華民国の名義で台湾の国連復帰運動を展開するなど,自己主張を強めている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「中華民国」の解説

中華民国
ちゅうかみんこく

辛亥革命後,1912年に成立した共和国
1912年1月,孫文を臨時大総統,南京を首都に樹立された。しかし,清朝を打倒する力がなく,2月袁世凱が清朝を滅亡させると,密約にしたがって袁世凱が臨時大総統に就任。袁世凱は北京に遷都したのち列国と結び,独裁体制を強化して革命派を弾圧,1915年末帝政復活を宣言するが,内外の反対で断念した。翌年,袁世凱が没すると,以後1928年まで軍閥による割拠時代となった。孫文は,1919年五・四運動の影響を受けて中国国民党を結成し,24年に同党を改組して第1次国共合作を行い,広東軍政府を樹立。1925年の孫文死後,指導権を握った蔣介石によって,26年から北伐が開始された。しかし北伐途上の1927年4月,蔣介石の上海クーデタで国共分裂となった。蔣介石は,列国や浙江財閥の支持のもとに南京国民政府を樹立。翌1928年北伐を再開して張作霖を北京から追放,張が日本軍によって爆殺されたのち後を継いだ張学良の支持をとりつけ,中国統一を完成。1931年日本が満州事変をひき起こして中国侵略を本格化したが,国民政府は共産党に対する内戦を激化。同年,共産党は瑞金に毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国を樹立したが,国民政府の圧迫を受け,1934年から長征を開始。1935年国民政府は幣制改革を行い,政府系3銀行の銀行券(紙幣)だけを法幣とし,経済面でも独裁を強化した。蔣介石は,共産党側からの抗日統一戦線結成の呼びかけを拒否していたが,1936年の西安事件によってそれを受け入れた。1937年7月の盧溝橋事件によって日中戦争が全面化すると,第2次国共合作が成立して抗日民族統一戦線が結成された。戦争拡大に伴い,国民政府は首都を南京から武漢・重慶に移して抗日戦を継続し,第二次世界大戦中の1943年,米・英との不平等条約撤廃に成功。大戦終了後,1945年10月に国民党は共産党と双十協定を結んだが,11月から国共内戦を再開。1948年蔣介石が中華民国初代総統に就任したが,内戦に敗れて,49年5月中華民国政府は台湾に逃れた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中華民国」の意味・わかりやすい解説

中華民国
ちゅうかみんこく
Zhong-hua min-guo; Chung-hua min-kuo

辛亥革命の結果,清朝に代って中国に成立した共和国の国号。 1912年1月に孫文を臨時大総統として成立したが,次いで袁世凱が大総統となり,以後軍閥戦争が繰返された。孫文の指導する国民党は 24年中国共産党と提携,反封建の目的を果すため「北伐」,すなわち北方軍閥の討伐に乗出した。しかし孫文の没後,蒋介石を中心とする国民党右派は,帝国主義諸国と結んで上海クーデターにより 28年正式に国民政府を樹立し,中国を統一した。国民政府は共産党を弾圧したが,その後日本の侵略が激化すると 38年3月「抗戦建国綱領」を制定し,第2次国共合作が成立した。しかし依然として国共の対立は続き,45年8月の日中戦争終了ののち内戦が激化,49年 10月北京に中華人民共和国が成立すると国民党政府は台湾に渡り,今日まで中華民国と称している。 71年 10月中華人民共和国が国際連合での合法的権利を回復したことにより,国民党政府は国連脱退を声明,72年9月中華人民共和国と日本との国交正常化により,対日断交を宣言した。 92年8月,中韓国交樹立による韓国との断交で,アジアで国交を有する国はなくなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中華民国」の意味・わかりやすい解説

中華民国
ちゅうかみんこく

1912年1月から1949年9月末まで続いた中国の国号。また、共産党との内戦に敗れ台湾に逃避した国民政府は、継続してこの国号を用いている。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中華民国」の解説

中華民国
ちゅうかみんこく

辛亥(しんがい)革命後の1912年から49年まで中国大陸に存在した国名。民国の歴史は,北洋軍閥支配時代と国民党時代に区分できる。北伐軍は国共合作などにより,28年末までにほぼ全国を統一。主席・陸海空軍総司令に就任した蒋介石(しょうかいせき)は31年5月に国民党による一党独裁制を定めた。数度の危機にみまわれたが,蒋の国民政府は道路建設,ドイツ人軍事顧問による軍の近代化,幣制改革・関税改革・紡績業育成に成功した。しかしこの蓄積は日中戦争によって壊滅的な打撃をうけた。第2次大戦後,中国共産党は蒋政権との内戦に勝利,49年中華人民共和国を樹立。蒋らは台湾に拠り,ひき続き中華民国を称した。日本とは1972年の中華人民共和国との国交正常化により,国交は断絶したが,民間レベルでは交流がある。

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世界大百科事典 第2版 「中華民国」の意味・わかりやすい解説

ちゅうかみんこく【中華民国 Zhōng huá mín guó】

1912年から49年にかけての中国の国名。簡称して単に〈民国〉ともいう。清朝をたおした辛亥革命によって創立されたアジア最初の共和国で,新民主主義革命によって成立した中華人民共和国に先行するものである。版図は,外モンゴルが独立したことにより清朝滅亡時より縮小している。32年に東北地方が日本の傀儡(かいらい)国家=満州国として分離させられるなどのこともあったが,日本の敗戦とともに,東北のみならず下関条約で割譲された台湾等への支配をも回復した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「中華民国」の解説

中華民国
ちゅうかみんこく

1912年,辛亥 (しんがい) 革命で清朝が滅んだのち,中国大陸にできた共和国
初め軍閥の対立抗争が続いたが,1928年いちおう蔣介石が北伐に成功して国民政府による統一を達成。第二次世界大戦後,蔣政権は中国共産党との内戦に敗れ,大陸には中華人民共和国が成立したため,以後台湾に拠り,ひき続き中華民国を称している。

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