キール運河(読み)キールウンガ(その他表記)Kiel Canal

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キール運河」の意味・わかりやすい解説

キール運河
キールうんが
Kiel Canal

ドイツ北部,シュレースウィヒホルシュタイン州を横断して北海バルト海を結ぶ人工水路。全長 98.7km,幅 103m,深さ 11.3m。 1887~95年に建設され,1907~14年に拡張された。主として戦略上の目的から開設されたドイツの国内水路であったが,2つの公海を結ぶ通商要路としてドイツが一方的に外国船に開放してきた。第1次世界大戦後ベルサイユ条約によって国際化され,ドイツと平和関係にあるすべての国の商船軍艦に平等に開放された。 36年 11月 14日ドイツは前記条約規定の一方的廃棄を通告した。第2次世界大戦後,ドイツを占領した連合国はドイツの廃棄通告に対し公式の見解を表明しておらず,運河が今日も正式な国際運河地位にあるかどうかは明らかではない。現実にはドイツによってすべての国の船舶に対して開放されている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キール運河」の解説

キール運河(キールうんが)
Nord-Ostsee-Kanal

北ドイツのキールエルベ川河口を結ぶ,1895年に完成した約200kmの運河。現在6万1000tまでの船舶がユトラント半島を迂回することなく北海からバルト海に至ることができる。

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世界大百科事典(旧版)内のキール運河の言及

【運河】より

…かかる多数のはしけ用運河のほか,19世紀後半には重要な航洋船用運河が相次いで開かれた。オランダの新水路(1872),北海運河(1876),マンチェスター運河(1894)はそれぞれ外洋からロッテルダム,アムステルダム,マンチェスターまで海上航路を引き入れたものであり,キール運河(1894)は北海とバルト海を結ぶ海上航路を大幅に短縮した。第2次大戦後にはローヌ川が根本的に改変され,運河化された水路と多数の新運河によって大型はしけの航行がはじまった。…

【キール】より

…人口24万7000(1995)。ユトランド半島のバルト海側のつけ根に位置し,湾口水深40mのキール湾に面し,北海とバルト海を結ぶキール運河も有する港湾都市であり,造船業を中心とする工業・商業都市でもある。地理上の有利さから早くから商業都市として発展,1242年に都市権を得,84年にはハンザ同盟の一員となった。…

【北海・バルト海運河】より

…キール運河Kielkanal,カイザー・ウィルヘルム運河とも呼ばれる。ユトランド半島の付け根のブルンスビュッテルBrunsbüttelとキール・ホルテナウKiel‐Holtenauを結ぶ全長98.7kmの運河。…

※「キール運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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